小説

『歌えメロス』ノリ・ケンゾウ(『走れメロス』)

 メロスは懇願するように、バイトリーダーに向かって言った。覚悟は決まってはいたものの、自分に期待をしてくれている営業部長をはじめとした上司たちや、自分を慕い、血反吐を吐きながらメロスと一緒に厳しい営業をしている部下たちのことを思うと、胸が痛み、引き継ぎや送別会をないがしろにできるはずがないと思った。しかしながら、バイトリーダーは可笑しくてしょうがない、といった笑い声をあげ、
「馬鹿な。誰がそんな口約束を信用できますか。私を信用させたければ、今すぐにここで働いて下さいよ」
 その言葉に、メロスは唸った。悔しくて涙が出そうだった。メロスが歯を食いしばり、涙を堪えているその横で、なぜだか青年のすすり泣く声がする。ニート風の青年である。
「どうした青年。なぜ泣いている」
 ふいの出来事に、メロスが声をかけると、
「感動しているのです」と、ニート風の青年が言った。
 何事であろうかと、バイトリーダーも首を傾げ、青年の方を向いた。青年は続けて話をするのに、手に持った携帯ゲーム機の画面をとじ、口を開いた。
「このお方の熱意に感動したのです。バイトリーダー様、私から提案があります。このお方が、土曜の日の出までに戻ってこなかったら、その身代わりとして私がここで働く、というのはどうでしょうか」
「ほう。それは一体どういうことですか」
「私は仕事も何もしていないただのニートです。今年で二十八になります。母親はいい歳にもなってニートである私に年々厳しくなり、とうとう愛想を尽かしました。今ではたとえば平日の昼間、学生やサラリーマンが外にいるはずの時間帯に、昼ご飯を家で食べることも気まずいほどに私は追いこまれています。そんなときにこのM屋に来るのです。安くてそれなりの味で、それなりのボリュームのある昼ご飯が、雀の涙ほどの小遣いの内で食べられるのは、ここのM屋だけです。それなのに最近のここの店といえば、今にも崩壊寸前ではないですか。このままではきっと人手不足と売上げの落ち込みにより閉店です。そうなれば、私が満足のいく昼ご飯を食べることは、もう二度と叶いません。それが今、このお方がM屋を救ってくれようとしている。それを私は、信じたい。いかがでしょう。ニートである私にとって、働くというのがどんなに恐ろしいことか。あなたにも想像できるはずだ。ですが私はこのお方を信じて待ちます。だから、バイトリーダー様。どうかこのお方に、三日間の猶予を」

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