小説

『兎ろ兎ろ。(とろとろ)』紅緒子(『うさぎとかめ』)

 あたしのツインテールは乙女の印籠だから、絶対に髪の毛を生涯切る気はない。おばあさんになっても赤いリップにツインテールをして猫と暮らすと決めているのだ。そう思えるのは亀と一緒のときだけ。亀はあたしの家来だから、あたしは王女様となってこの世のことわりを語って見せる。亀はゆっくり頷く。バカだから人よりも理解が遅いのだ。
「うさちゃんほど、頭のいい子に会ったことがないよ」
 亀はいつも私の後からのろのろ来る。亀の性別が男で、イケメンで、頭もよくて、背が高くて、家柄もよくて、お金持ちならあたしが結婚してあげるのに。
 そんなにすごいポテンシャルのあるやつだったら、あたしの家臣になるわけなんかないってことはどうでもいい。
 乙女は夢を見る生き物だ。過信もまた夢であり、本当は叶わないことがわかっていて頭のすみっこで絶望しながら、現実の目玉ではきれいなものしか視界に入れない。
 あたしは誰よりも先に行きたいから、もう亀を待てないかもしれない。
 乙女でいたい。少女のままでいたいのに、大人になりたい気持ちもある。大人になったら、もう学校での関係や勉強に時間をとられなくて済む。あたしは大人になっても、ただひとり女の子の生き方を通す。愛想笑いはしないし、お世辞も言わない。
 あたしの苗字は宇佐美で、亀の苗字は亀田だから、あたしたちは漫才コンビのような安易なあだ名、「うさぎ」と「亀」と呼び合っている。
 大学生の夏休みは長くて永遠につづきそうだ。亀といっしょにカフェでバイトしてみたけれど、向いていなくてすぐにやめた。感じの良いお客さんにならにこにこできるけれど、気持ち悪いおじさんに「ありがとうございます」とか「いらっしゃいませ」とか言いたくなかった。笑顔を作ってあげる価値もない人のために、お金が欲しくて働くなんて売春と同じだ。誰かの食べ残しや使ったナプキンに素手でふれるのも不潔だし、レジで不特定多数がさわったお金をさわるのも生理的に無理だった。お金が汚く見えた。みんなで同じように一万円札の福沢諭吉に畏怖を感じ、お札を財布にしまっていることが、とてつもなく人間そのものの存在をゴミ化させる。肉体労働者のポケットに無造作に入ってた百円玉は、黒光りして見える。トイレに行ってろくに手を洗わずにふれているため、汗や精液や毎日の疲れがこびりついているんだ。

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