小説

『シェーベ』中村崇(『透明人間』H・G・ウエルズ)

 茜はテーブルについてパック入りの総菜を眺めながら、稔が高田と電話しているのを聞いていた。
「あぁ、なくなったのは二十時六分から二十時四十分までの間。あぁ、本部には連絡済みだ。うん。頼む」
 稔は電話を切ると茜のむかいに座り、顔をじっと眺めた。
「なんですぐに言わないんだよ」
「言おうとしたよ! きいてくれなかったのはお父さんでしょ? のんきにメンチカツなんか買ってないでよ。だいたい何でいつも鍵忘れるのよ。彩に怖い思いさせちゃったじゃん」
「だって今朝はお前が早く出ろって言うから」
「前の日から鞄に入れておけばいいじゃん! それくらい小学生だってやってるよ」
「まぁ……しかしいつも彩ちゃんには気を遣ってもらって悪いな」
「うん」
「今度なにかごちそうしなきゃな」
「うん」
「メシ、食おっか」
「着替えてくるね」
 稔に見送られていることを背中に感じる。喧嘩なんかしちゃいけない。彩を帰す前にメールをしておけばよかった。二人きりの家族なのだから仲良くしなければ。二階に上がると、全てのドアが開いたままになっていた。早く着替えてしまおうと思ったが、ハッとしてピアノの部屋に入り、テーブルの上の皿を眺める。そうだ。恐怖と安堵で忘れていたが、この食事の跡にどう説明を付ければいい? 窓から入る事は不可能だし、他もしっかり施錠されていた。にも関わらず、プチトマトを除いて平らげられた朝食。いったい誰が? 答えはひとつしかないのではないだろうか?
 稔と共に食卓についてもそんな考えが頭から離れなかった。プチトマトを箸先で弄びながらぼんやりしていると、稔が自分を眺めている事に気がついた。
「お前もプチトマトだめなんだっけ?」
「もってなに?」
「沙耶もプチトマト嫌いだったからさ」
「え? そんな事ないでしょ。ちゃんと食べてたよ」
「おまえの前だけだよ。好き嫌いさせない為にいつも我慢して」
 ピアノの部屋は沙耶の居場所だった。専業主婦だった沙耶が見当たらないと茜はまずピアノの部屋を見に行った。そういう時だいたい沙耶はピアノの前に座るか、ソファーで読書していた。だから茜はピアノの部屋を今でも母の居場所だと感じていた。そして、お母さんもプチトマトが嫌いだった?

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