小説

『シェーベ』中村崇(『透明人間』H・G・ウエルズ)

     稔

 稔が到着するとすでに高田が仕事を始めていた。一家惨殺事件が起こった家で、家族全員この一階のダイニングキッチンの床にかためられるように放置されていた。そのため死体位置のマーキングテープは入り乱れ、一見すると暗号のようだ。突入時の事を思い出してため息をつくと、高田が顔を上げた。
「よう。同じ現場は久しぶりだな」
「ああ」
「その後茜ちゃんどうだ」
「昨日夜中に沙耶のピアノ弾いてたよ」
 高田の目が翳った。高田とは同期で辛苦をともにした仲だった。よく稔の一家と食事をするなど親交を深めてきた。茜の事は産まれた時から知っており、可愛がってくれていた。
「沙耶さんなぁ、ピアノ上手だったもんなぁ」  
 高田は稔の肩を叩くと、来てくれと部屋を出て行った。連れていかれたのは隣家との境界を示すフェンス沿いの通路だった。自転車が3台停まっている。
「3台しかないんだよ」
 稔は手帳を取り出して家族構成を確認した。
「殺されたのは中野忠之、妻の加代子、娘の美樹、息子の忠信の4名。だが全員が自転車持ってるとは限らんだろ」
「まぁな。だが近所で聞き込みしたら、忠信が青い自転車に乗っていたらしい」
 そこに青い自転車はなかった。

 
     茜

 学校から帰ってくると、青い自転車がまだ立てかけられていた。うんざりとしたが特に腹は立たなかった。鍵をあけ、明かりを点けながら二階に向かう。朝食を片付けなければならない。作っている時はいいが、片付ける時は気が重かった。虚しさを全身に感じた。やめてしまえばよかったが、まだやめたくなかった。
 ピアノの部屋の空気は朝より澄んでいる気がした。足を踏み入かけたところで信じられないものが目に映る。プチトマトを除き、朝食が綺麗になくなっていた。茜の髪の毛がなびく。驚いて周囲を見渡すと、窓が開いていた。
「あ、」

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