小説

『つまらないものですが』泉谷幸子(『わらしべ長者』)

 そもそも今夜は仕事が終わってから友人の涼子と映画を観る予定だった。ヒロシのことも話しているので、最近あんまりだということも相談するつもりだった。そのため、仕事も今日はてきぱきと進めていくはずだったのだ。それが、あんなラインのせいで休んでしまって、明日が怖い。仕事の山が溜まっていると思えば、明日が怖い。
 歩いていくうちに、駅に着いてしまった。仕方なく、いつもと反対方向に行くホームに出る。とにかく時間をやりすごさないといけない。
 平日の昼間の駅の光景も、朝や夜とはまったく違い、時間がのんびりたゆたっている。誰もホームを走っておらず、人もまばらで表情もみんな穏やかだ。公園と同じく、どこか違う世界に来てしまった感がある。じりじり暑い中、電車がやっとゆっくりやってきた。ドアが開き、2,3人とともに乗り込む。冷房が効いて涼しい車内には、それでもまずまず人が乗っていた。学生らしい若者、老人、中年の女、子連れの女など、みんないったいどこに向かおうとしているのか、のんびりとそこにいる。暇つぶしのためにあてもなくただ乗っているのではないかと加奈は思ったが、次の駅に着くと、誰かが下りていき、誰かが乗ってくる。
 しばらくすると、そばにいた男の子がむずがりだした。
「ねえ、まだなの?お腹すいた」
「まだよ。もうちょっと」
「もうちょっとって、どれくらい?」
「もうあと5つくらい先の駅かな」
「えーっ、お腹すいた、お腹すいた、お腹すいたー」
 向こうの学生らしき若者がちらと見る。母親はしーっと口に手を当てるが、男の子は容赦しない。お腹すいた、お腹すいた、お腹すいた。
 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14