小説

『つまらないものですが』泉谷幸子(『わらしべ長者』)

 目的の駅に着いたのはそれでも4時過ぎになっていた。約束まであと2時間だ。することがないので地下街の本屋に寄って雑誌をぱらぱらめくっていると、携帯が鳴りだした。あわてて雑誌を元の場所に置き、店を出る。まさかヒロシ?気が変わって謝りの電話をかけてきたのか?もどかしい思いでカバンから携帯を探り出し、表示されている名前を一瞬で確認する。涼子からだった。
あきらかにがっかりした自分にあきれつつ、何気ない口調で出る。
「もしもし」
出るなり、涼子の声が響いてきた。
「ごめん、緊急事態!これからお得意様に謝りにいかないといけなくなったので、映画観に行けないわ。うちの課みんな出払ってて、私しかないのよ。説明は今度する。チケット、誰かその辺の人に渡してもらうから、映画館の前で待ってて!今日の髪型と服装どんのか教えて!」
「え?えーっと、今日はポニーテールで白いシュシュ、白のブラウスに紺のミニのフレアスカート、赤のサンダル、赤のショルダーバッグ。」
 向こうが切羽詰まっているので、こっちも慌てる。
「りょ!じゃ、また!ほんとごめんね!」
そう言って、ぷつっと切れた。加奈はしばし軽く呆然とする。なに?涼子が来られないのはわかった。チケットは涼子がとってくれていたから、加奈ひとりでは映画が見られない。それで誰かにチケットを託すのだという。そこまではわかるが、誰かって、誰?いつ?
 今朝からののんびりした時間が、一気に早く動き出した気がする。加奈は初めて覚醒したように、背筋をきゅっと伸ばした。
 

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