小説

『親心プログラム』飾里(『祖母のために』宮本百合子)

 試験も三日後に迫った土曜日。定期メンテナンスのために祖母は叔父のいる病院で一日入院となった。僕は家で勉強をしていた。昼食を済ませ、部屋に戻ろうとすると祖母の部屋から大きな物音がした。駆けつけると入り口でカルマが毛づくろいをしていた。みると祖母の本棚の写真や小物が床に落ちて散らばっている。その中に見慣れない手帳があった。めくってみるとまだ一ページしか書いていない祖母の日記だった。
 日付は祖母の命日だ。胸が早鐘を打った。祖母の脳内チップのバックアップは死亡日の前日になっている。だからこの日記は祖母の最期の記録ということになる。言い合いをした翌日の夕方、祖母は車に跳ねられた。義体化をほとんど施していなかった祖母はあの時点で一度死んだ。しかし脳機能のバックアップデータをとっていたおかげで祖母は「再生」し、再び僕の保護者となった。そうして生き返った祖母二号は自らの生き方を反省し、僕が自らの将来として選んだ生命工学の尊さを受け入れ、自分の有限性を受け入れた。僕もまた祖母が変わったことが嬉しかった。それなのに、やっと祖母の賛同を得られた生命工学の試験の勉強に身が入らなかった。僕はそのことに多少の苛立ちを覚える一方、新たに始まったなんの心配もない祖母との生活に平穏を見出していた。祖母は一度死んだかもしれないが、もはや永遠に生きる可能性がある。いや、生きるのだ。そのことに何の疑いも持たなくなっていた。しかし、それがただの幻想であることに気が付いた。この日記によって。
 僕はたった一ページの文字の羅列をむさぼるように読んだ。
『昨日も孫と言い合いをしてしまった。ソウヤには私の人間に対する理想像を押し付け過ぎたかもしれない。だがこれが私の欲なのだ。あいつも私によく似てこうと言ったら聞かない頑固さがある。それが面白くてわざと反対することもあったが、昨日はさすがにやりすぎた。たった一人の肉親としてもっとあいつに優しくすることも大事なのだろうが、あいつは甘やかしたらのさばる。それにおおむねあいつはまともな人間になりつつあ。私には似ていない。私がいなくなってもあいつは十分ひとりでやれるだろう。これまで孫を一人前にすることだけを考えてことあるごとに反対してきた。子供は親に反対されることほどストレスになることはない。だが、親が反対するとき、それは運命が反対するのと同じなのだ。運命がその決断で本当にいいのかと試している。人生は一度しかない。人の人生は一度きりだ。親がいつまでもいては子供は自立しない。ソウヤ、お前は十分ひとりだちできる。私の肯定なんか得ずともおまえはその負けん気で進んでいける。お前のするべきことを信じているから、とことん最期まで反対してやるぞ』
 僕は読みながら涙をこらえることができなかった。それにしても憎ったらしい捨て台詞だ。だが、僕はやっとわかった。祖母がなぜこれまで僕の進路に反対していたのか。祖母の言う通りだった。僕は祖母に肯定されていつのまにか甘えていた。その甘えが心地よすぎた。
 僕はどうすべきなんだろうか。いや、もうすべきことはわかっている。僕は叔父に電話をかけた。
 

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