小説

『大文字百景』今泉きいろ(『富嶽百景』太宰治)

「待って、私、ヨガを習ってるの。そのポーズでとって欲しいわ。インドに伝わる神様のポーズなの」
 少女は、そう言ったかと思うと、靴を脱いで、腰掛けの上に立った。左足一本で立ち、右手はぴんと伸ばして、後ろでゆったりと曲がる右足をつかみ、左手はしなやかに、前方に伸ばされた。足先から手先、三日月の弦のような、曲線だった。このような曲線が、この世に存在するということを、私はそのとき、初めて、知った。少女は、寸分も、動かなかった。一瞬、ときが、このまま永遠に動かないのではと、そんな気分になった。
 465メートルの山の頂で、微塵も揺るがず、前に伸ばした手で、京都市街、後ろに伸ばした足で、山科の町並みを支え、背中は、しなやかに、蹴上の丘、果ては浪速の海を受け止める、あのポーズは、良かった。後ろで、見ていたおじさんたちから、拍手が起こった。
 そんなことを、送り火の夜、空を見て、私は思い出していた。
「大文字山には、三日月がよく似合う」
言った私に、鶴さんは、笑って、何ですかそれ、と言う。
バンクーバーの少女、インドの神、夜空の月。時間と空間が、混ざり合って溶け合ったそれらのエネルギーを、あの大の字は、まるで、無邪気な子どもが、両手両足を伸ばして、広い野原に、寝っ転がったかのような姿で、受け止める。
「この間、健太君が、言っていましたよね。近すぎると、『大』の字は見えないって」
 鶴さんは、送り火を眺めながら、言った。
「はい。近くで見たら、最初は、私も意外でした。実際にその場に立ってみると、ただの大きな階段にしか見えませんからね」
「でも、そのとき思ったのですよ。『大』っていう字なのに、大きすぎたら、『大』に、ならないんだなって。『大』が、大、であるためには、ちょっと離れて、少し小さくならないと、だめなんですね。小さくなったときに、『大』が、本当の意味で、『大』になるんですよ。なんというか、そういうものなのですね」
 そう言う鶴さんを、私は、とても、素敵だと思った。手を取って、鶴さんに感謝を述べたい気分になった。
 

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