小説

『大文字百景』今泉きいろ(『富嶽百景』太宰治)

 その年、お盆最終日。
大通りから、細い路地を入った居酒屋を出て、鶴さんは、ふと立ち止まった。
「どうしました」
 私が訊ねると、何か言おうとして、いえ、やっぱりなんでもありません、と言って、すたすた歩いて行く。
私は、そのころ、下界で鶴さんと会うことが、既に何度かあったのであるが、その度に、言いようもない後ろめたさと、苦々しさと、気恥ずかしさを味わうことになった。いつも、鶴さんのことを、直視できず、まごまごと、視線を交わし、意識をそらし、のらりくらりとしていた。
今出川通りに戻ると、そこに、「大」が、赤々と、闇夜に浮かび上がっていた。
「あっ、だいもんじ」
 そういって、送り火を見上げた鶴さんの横顔、私は、はじめて、しかと直視した。なだらかに波打つ髪の生え際に、ちょこんとついた小さな耳。ちいさなお飾りのようなその耳とは対照的に、目は大きく、深く澄んでいた。燃える大文字の緋、木々の翠緑、夜空の藍、月の淡黄、それらが濁ることなく溶け合い、琥珀のように、鮮やかな明るさと深さを湛え、澄み切ったその目に結晶していた。
 美しいものを見た、と思った。今出川通りには、送り火を見ようとする人で賑わってはいたが、私は、送り火よりもずっと価値のあるものを、一人だけ見たような気になって、満ち足りた気分になった。
 私の視線に気づいたのか、ふと、飾り耳を赤くした鶴さんは、それをごまかすように、送り火とは別の方角を指して、言う。
「ほら、三日月」
「ああ。ほんとだ」
 私たちは、顔を見合わせて、笑った。三日月と、大文字。二人とも、それより少し前、山頂であった出来事を、思い出していた。
 その日、鶴さんとともに登ったとき、山頂展望台に、外国の少女が座っていた。まだあどけなさが残っていて、高校生かそこらのように見受けられた。山頂に居合わせた登山客は、ほとんどがおじさんであり、異国の言葉で話しかけらたまらんとばかり、たった一人、展望台最前列のベンチに腰掛ける、この珍しい登山客を、幾分、遠巻きにしていた。
 見かねた鶴さんは、ためらうことなく、流れるような英語で、話しかけた。
「どこから来たの?」
 少女は、ぱっと顔を明るくして、答えた。
「バンクーバーからよ」
 それから、遠く北米からこの大文字山の頂上へとやって来たという少女は、鶴さんと、しばらく会話を続けてた。
「写真を撮って欲しいそうですよ」
 手持ちぶさたにしていた私に、ふと、鶴さんが、言った。少女はポケットから自分の携帯電話をとりだし、私に操作を教えてくれた。
 

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