「先輩」
不意に高橋が遠山を呼んだ。
「あぁ?」と言う遠山の気のない返事を気にする風もなく、高橋は上流を指差し、
「ちょっと食いが悪くなったので、もう少し上流へ行ってみようと思うんですけど、先輩はどうします?」
釣りなどすっかり飽き始めていた遠山は面倒くさそうな顔で、
「いや、俺はここでいいよ。ここでのんびりするさ」
「そうですか?じゃあ、ちょっと行ってきます」
遠山の表情に気づいているのかいないのか、高橋はあっさりそう言うと、川沿いに生える木々の間を巧みに縫うようにして、上流の方へと向って行った。
木々の間に消えゆく高橋の後姿を見送ってから、遠山はため息をつきながら川原に転がる大振りの石に腰を降ろし、釣竿を傍らに置いた。タバコに火をつけ、ぼんやりと考える。小山田から聞いた話を再び思い起こしていた。
あいつも今の高橋みたいな感じで上流へ行って、不思議な家を見つけたんだよな……って、やっぱこの話、どこかで聞いたことあるんだよな……いや、なにかで読んだのだったか……。
遠山は晴れ渡った空に向けてふぅと息を噴き出す。そうすることで出てくるのはタバコの煙ばかりで、肝心の記憶は一向に出てこなかった。
しばしぼんやりとしていた遠山が、タバコの灰を落とし、フワフワと空に消え行く煙に目を向けたとき、
「先輩」
と高橋の声がした。
振り返ると上流に向ったはずの後輩が木々の間から顔を覗かせ手招きをしていた。
遠山が座ったまま
「なんだよ」
と眉を顰めると、
「見てほしいものがあるんです」
高橋はそう言ってから困惑した表情で続ける。
「こんな山奥にでっかい家があるんですよ。見たところ人の気配もしないし、なんだか気持ち悪く…」
後輩の言葉を聞き終えるよりも早く、遠山はバネ仕掛けのように立ち上がっていた。当然脳裏には小山田の体験談が渦巻いている。
予想外の遠山の勢いに高橋は言葉をなくしていたが、遠山が「どこだ?」と訊ねると、
「あっちです」
と上流の方を指差しながら歩き始めた。
タバコを指で弾いて川面に投げ捨てると、遠山は急ぎ足でその後に続いていく。