小説

『マヨイガ』土橋義史(『遠野物語-マヨヒガ』)

 ところが、しばらく進んでから
「あれ……?」
 と言って高橋は足を止めた。
「なんだ、道を間違えたか?」
 遠山の問いに高橋は首を振る。
「間違えてないです。この大きな木……」
 高橋はそう言いながら目の前に一際大きく聳える木を右手で叩く。
「この大きな木からあっちの方向に確かにあったんですよ。」
 遠山は高橋が指差す方向に目を凝らした。木があるばかりで家らしいものはおろか、人工物らしきものもない。
「高橋さ。お前何かと見間違えたんじゃないのか?」
「そんなことないですって」
 ムキになってそう言った高橋は見たはずの家を探すようにあちらこちらへ視線を彷徨わせた。
 そんな後輩の様子を眺めながら、
 あれ?このタイプの話も聞いたか読んだかしたことあるぞ……。
 と、遠山は首をひねった。山奥に入ると不思議な家を見つけた話といい、その家を誰かとともに再び訪れると跡形もなく消えていた話といい、確かに遠山の頭の中の引き出しに収まっているはずの記憶と酷似しているのだ。ただ、その記憶がどこの引き出しに収まっているのかが分からないため、彼は少し苛立ちを感じていた。
「まあ、いいや。とにかく、俺はあっちに戻るぞ」
 諦めてそう言った遠山が、ため息をつきながらもと居た川原の方へ歩き出すと、高橋もその後を追って歩き出した。
「じゃあ僕も戻ります。なんか気味悪いし」
 二人並んで川原まで戻り、遠山は再び大振りの石に腰を降ろした。高橋はそのまま釣りを再開させる。
 遠山は新しいタバコに火をつけ、後輩が釣りをする姿をぼんやりと見つめていたのだが、不意に彼の脳裏に記憶が甦った。
 そうだ、マヨイガだよ。大学生のころ、民俗学の講義の課題で読んだことがあったんだ。小山田から聞いた話も、今あったことも……確か、遠野物語って本の中に出てくる話だ。
男が山の中に迷い込んで家を見つける。村に戻って皆と一緒に探しに行くけれど、家があったはずの場所には何もなかった……これは今、高橋と俺が体験したことそのままだ。そしてもう一つ、女が山菜か何かを取りに山に入ると大きな家があった。誰もいないその家の庭には花が咲き、馬小屋や牛小屋もある。家の中に入ると座敷には綺麗なお椀が並べられ、火鉢には鉄瓶で湯が沸かされていた。誰もいないものの、女はその家がもしや山男の住処ではないかと恐ろしくなり逃げ帰った。後日、女が川で洗濯をしているとお椀が流れてきた。女はそれを拾い、米櫃の米を計る容器に使うと米は一向に減らなくなった。それ以来女の家は幸運に向い、大金持ちになった……これは小山田から聞いた話と似ている……って言うか、小山田の奴、あの後お椀拾ったのかな。もし拾っていたら大金持ちになるってことだろ……。

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