小説

『マヨイガ』土橋義史(『遠野物語-マヨヒガ』)

「よぉし、また釣れた」
 小山田は上機嫌で吊り上げた黒鯛をクーラーボックスに放り込んだ。その中にはすでに数匹の黒鯛が収まっている。
「今日はこっちにして正解だったな」
 こっちとは黒鯛釣りのことだ。
 小山田は数日前から、狙いの魚をヤマメにしようか黒鯛にしようか迷っていたのだ。ヤマメなら渓流、黒鯛なら河口付近の汽水域が釣り場となる。しかし、ヤマメ釣りは前回変な家を見つけて縁起が悪いな……という考えに至り、彼は目当ての魚を黒鯛に決めたのだ。朝から河口付近のテトラポットの一角に陣取った結果、大漁だった。
「それにしても、気のせいかな……」
 小山田は少し首をひねりながら撒き餌が入ったビニールバケツの中を覗きこむ。いつになく、撒き餌の減りが遅いのだ。いや、遅いと言うよりも全く減っていないようにも見える。いつもと変わらず頻繁に撒き餌を使っているにもかかわらず、である。
「まさか、こいつのせいかな?」
 小山田はそう言って、ビニールバケツの中に突っ込んでいた撒き餌を撒くための柄杓を手にとった。それは木製の柄杓で今朝拾ったばかりのものだ。
 朝、釣り場に着いた小山田は撒き餌を撒くための柄杓を家に忘れてきたことに気付いた。仕方なく直接手で撒こうかと思いつつふとテトラポッドの下を見れば、川の上流から流れてきたと思しき柄杓が浮かんでいた。水撒きに使うような木製の普通の柄杓だ。彼はちょうど良いとばかりにその柄杓をタモ網ですくって拾い、餌撒き用として使っていたのだ。
「そんなわけないか」
 小山田はそう言って自嘲の笑みを浮かべると、その柄杓で撒き餌を掬い取り水面にばら撒いた。
 波間に浮かぶ小さな浮きに集中する小山田自身、手にした柄杓が彼に幸運をもたらすことなど知る由もなかった。

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