遥はその店は知っていたけれど。「ワールズエンド・キャッスル」のことはなにも知らなかった。切羽詰まってる人に申し訳ないと思いながら、耳から受話器を離すことができなかった。
話の途中で測量を頼まれてるんですって声が被さる。30度北なのかな?
わかってる。あなたは急いでいる。とても。仕事に遅れそうだから、なおさらだ。電話を切るのもどうかと思い、遥はその声をずっと聴いていた。
上司の呼び出しは無視をした。預かった遺品が倉庫の中で眠れるのはリミットが1年。1年以上になると依頼人に通知書を出して、処分するか引き取るかどちらかを選んでもらうことになっていた。そんな催促が最近立て込んでいる。上司の声はシカトすることにした。
声の出し方や、話し方は単なるその人の癖みたいなものだと思っていたので、全然気にしたことはなかったけれど。
となりのブースにいる新子さんとは、それなりに親しくなった。そして教えてくれた。
「無口な人の声って、喉の筋肉が鍛えられていないから、ふわふわっとした声しか出ないって。人としてちゃんとしてるって、そういうところにもでるのよ。
スキがあるとかないとか。だから、遥ちゃんがその人の声が好きっていうの正解かもね」
はじめの間違い電話を境に、なんどもその人から電話ががかってきた。それを遥はもう、一日のクライマックスな出来事のように感じていた。ある種、甘美な。
日々に破れかぶれになっていたから、遥はその声の主があえて遥を選んでこの番号にかけてきていると、新子さんに指摘されて意識した。
そういう突拍子もないところから、恋が始まるのよって。こんな時代なんだからなんでもあるわよ。最近の新子さんの口癖だ。
でも彼の声を意識した途端に、その人からの電話はかかってこなくなった。
真に受けそうになってた。恋とかいうもののことを。もう掛かってこないのかと思ったらとても大切な何かを失った気がして、日々の色にもやがかかった。新子さんは、地震が起きてからしょっちょう恋のようなものだけがしたいって言ってる。
「のようなものって?」
「だから、好きっていうときのあの入り口の気持ちよ。それだけでいいわ。人生どうなるかわかんないのよ。結婚なんかしてる場合じゃないでしょ。ただただ、恋のように寄り添いたいだけっていうか」
会社帰りに、いつも日常のこまごまとしたものを買う<スーパー創>に寄った。
「くたびれたソファがさ、気づいたら破れてたからガムテを貼ったよ」
知らない人の声が近くから聞こえてきて。