小説

『花咲かす大樹』まる(『こぶとりじいさん』)

 そう考えていた私の予想に反して彼女の表情も話も暗くはなかった。
「なんか、内田さん回復してるみたいで……」
「えっ?」と思わず驚いてしまった。
「冬休みに入って少ししてからだそうです。私も病気の構造とか、詳細はよくわかってないんですけど、主治医の方に聞いても不思議がっているみたいで」
 そんなことがあるのだろうかと疑問はあるものの、医療に関して全くの素人からすれば嬉しいことでしかなかった。
「ご両親も戸惑っていたらしいんですけど、『実際に日ごとに元気になっていく娘を見てたら、嬉しい以外なかった』って。それはそうですよね」
 彼女の微笑んだ顔を久しぶりに見た気がした。
「そうだったんですか。ちょっと安心しました」
 内田に関しての心配事はひとまず落ち着いていたようだが、一方で私には一つ確認しておきたいことがあった。「彼」の名前である。
「準備するんで、ちょっと待ってください」
 私はクラス全員の名前が書かれたはずの名簿を丁寧に確認し、頭の中で一人ひとりの顔と一致させていった。全員分が揃っていることを確認し終えて、待たせていた表崎先生と学校を出て病院へ向かった。

 病院までは歩いて行けるほどの距離で、周りには下校中の生徒たちの姿も見えた。道中、私は予定通り「彼」について考えていた。
 私は「彼」を知っているはずだが、知っているということ以外はわからなかった。問題は「彼」が誰なのかということ。そしてなぜ私は「彼」のことを忘れていて更にその自覚があるのかということである。「彼」に関するほぼ全てのことを覚えていないというのに、「彼」は自分の生徒だと感じて疑わなかった。普通、誰だかわからないような人間がいれば、たとえ周りの生徒たちと同じ制服を着ていようが同じ年頃の見た目だろうが部外者として認識するはずである。だが私は、いや、私だけではなく他の生徒たちも皆「彼」を不審がっている様子はなかった。だからこそ私は自分の頭ではなく名簿を頼りにしたというのに、それでも「彼」の名前はわからなかった。そこにあるはずのクラス全員の名前と顔を一致させてみても、下校時に見た「彼」の顔と一致する名前は書かれていなかったのだ。その上、私は名簿を一通り確認したあとで一つとして生徒の名前が欠けているなどと感じなかった。冷静に考えてみればそんな違和感の無さこそが異様である。なぜ生徒の名前が名簿に無いのか。そしてなぜ名簿を見ているはずの先生方も私も名前がないことに気付かなかったのか。それでいてなぜ「彼」がいることに誰も違和感を覚えていないのか。どれに対しても合理的な説明は思い浮かばなかった。

 結局、よくわからないことがわかった程度で病院に着いてしまい「彼」のことは後回しにせざるを得なくなるかと思われた。ところが、受付で署名をして、内田のいる階までエレベーターで上がり、私たちが降りたその時だった。見慣れた制服に見慣れない顔の男子高校生が入れ替わりエレベーターに入って行った。しかしその見慣れない顔には見覚えがあった。そして、私はその顔を見慣れていたはずである。忘れてしまったのだとしたら、もう一度知るしかない。

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