小説

『箱庭のエデン』沢口凛(『浦島太郎』)

 小男が答えないうちに、エレベーターが最上階に着き、扉が開いた。タキシード姿の男が待っていた。
「いらっしゃいませ」
 小男は上着を脱ぎ、タキシードの男に渡すと、
「さっき、ひどいのに絡まれたんだ。この人が助けてくれなかったら、死んでいたかもしれん」
「え!そうなんですか!ご無事なんですか?」
「ああ、ケガはない。詳しいことは後で話すよ。とにかくこの人は恩人なんだ。丁重にもてなしてくれ」
「かしこまりました。では、こちらへ」
 タキシードに案内され、やたら豪華で古めかしい扉を開くと、上品な音量でジャズが流れていた。どうやら会員制のクラブらしい。ただしすべての席がパーテーションで仕切られた個室になっている。その個室の間の通路を、イブニングドレス姿の美女や黒服が時折行き交う。宇田島は、一番奥の個室に通された。すでに女性が二人座っている。豊かなバストが半分のぞいている、紫色のドレスの女と、黄色いドレスの巻き髪の女。二人とも、女優と見まごう美しさだった。
「いらっしゃいませ。どうぞ、こちらへ」
 宇田島は促されるままに座った。しかし小男は立ったままだ。彼は宇田島を見下ろしてこう言った。
「すまないが、私は少し別件で席を外させてもらう。しばらくこの女の子たちに接待させてくれ」
「はあ…」
 二人のキャバ嬢に挟まれ、おしぼりと、頼んでもいないビールを手渡された。黄色いドレスの女が、人懐っこい笑顔で話しかける。
「何さん、とお呼びしたらよろしいですか?」
「ああ、名前は宇田島です」
「私はサユリです。こっちは新人のエリね。じゃ、宇田島さん、かんぱーい!」
 よく冷えていて美味い。どこのビールだろうか。日頃、発泡酒や第三のビールにしか縁のない宇田島にはまるでわからないが、高級品を飲んでいることだけはわかった。
「宇田島さん、苦手な食べ物ってあります?」
「いや、特にないっすけど…あえて言うなら、貝とか」
「じゃあ、お造りに貝は入れないでおきますね」
 そんな会話から3分後には、見たこともないような豪勢な舟盛りが運ばれてきた。そしてフォアグラだの、北京ダックだの、フィレステーキだの、宇田島がここ数年目にすることさえなかった、高級料理が次から次へとテーブルに並べられる。
「俺、こんなに食べられませんから」

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