小説

『クロックワーク・タイム』菅原照貴
(inspired by 小説『天地明察』)

 まず見た目以外というからには腕時計と懐中時計の違いだとか、各々の表示する時間が五時間近くもずれているなどといったものではあるまい。どちらかが特別なのだろうか?だとするならば、可能性が高いのは懐中時計の方だ。誰か著名な人物が使用していたとか。懐中時計を愛用している有名人などいただろうか?いや、もしかすると特別なのは腕時計の方で、跳び越してしまった五年の間に何か特別な意味を持つのかもしれない。それなら何も気付かないことこそ正解になる。
 エィンはちら、と女の表情を盗み見た。女は口を一文字に閉じて、こちらを見ている。その目には、どこか懇願するような色が窺えた。彼は再び視線を二つの時計へ落とした。
 一体、何が正解なんだ。どちらもただの時計だ。見た目じゃないとすれば、後は懐中時計の方がいつまでもチクタクチクタクしている位か。全く、今更ながら鬱陶しい音だ。見るもの全てが新鮮な未来でも、この舌打ちには感慨も何もない。ただチクタクチクタクうるさいだけだ。チクタクチクタク、チクタクチクタク――。
「ん?」
 男は目を細めた。デジタルの文字盤へ目を凝らし、一瞬前まで忌々しく思っていた針の音へ耳を澄ます。
「違う。」彼は困惑気味な表情を浮かべながら面を上げた。「この二つはそれぞれ別々の時を刻んでいる。そうだな?」
 女はいよいよ険しい目になって頷いた。
「あなたにとって馴染みがあるのはどっち?」
 男は再び二組の雫が落ちる速度を比べた。
 こっちだ、と彼が顎で示したのは懐中時計の方だった。「腕時計の方は僅かにだが、秒を刻むスピードが速い。」
「正確には〇・〇四二秒――」彼女はそう言うと、腕時計の方へ目を向けた。「――私達がここで普段使っている一秒は、あなたの知っている一秒より〇・〇四二秒だけ速い。」
「どういうことだ。」
「エィン。あなた、見たことのない機械でここへ送られたって言っていたけれど、自分が時間を超える瞬間は分かった?もしかして、その前に薬か何かで眠らされたんじゃなくて?」
 問われた彼の表情が図星であることを示唆していた。
 ――道中で舌を噛まないようにとの気遣いだよ。
 そう言いながら顔を医療用マスクで覆った男は、時空転送装置を前にして拷問椅子に固定されている彼の首筋へ注射針を打ち込んだのだった。それからものの数秒で気を失い、気が付けば五年後の世界にいた。

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