小説

『クロックワーク・タイム』菅原照貴
(inspired by 小説『天地明察』)

「一体、何がどうなっている。そもそもお前、施設の人間じゃないな。誰なんだ。」
「そういや、こっちの自己紹介まだだっけか。」と、女は居住まいを正すと、
「私の名前はヘイリー・シブカワ。あなたの言う通り、私はこの施設の人間じゃない。あなたに会いたくてここへ職員の振りをして忍び込んだの。」
「どうして俺に。」
「あなたの助けが必要なの。と言っても、今現在助けが必要なのはあなたの方みたいだけれど。」彼女はベルトに拘束された彼の四肢を見て言った。「協力してくれるなら拘束を解いてあげる。」
 だが彼は、
「悪いが恩や仇のやり取りは嫌いなんだ。」
 そう言ったと思うと、右手首がゴキリと音を立てた。そうして自由になった右手の関節をまず股に挟んで元に戻すと、ものの数秒で残りの拘束も全て外してしまった。テーブルの上に身を乗り出すようにして肘を付いた彼は言う。
「さあ、話を聞こう。」
 彼の早業を前にして呆気に取られていた彼女は、気を取り直して再び口を開いた。
「簡単に言うと、ここは偽物の時間に閉じ込められた場所。そして私達はその囚人。けれど、ここで暮らす人の九十九%はそのことに気付いていない。」
「じゃあ、ここは未来なんかじゃないのか?」
「ここはいつだって現在――」彼女は言った。「――少なくともこの中では。ここと外とでは、時間の流れるスピードが違うの。人為的にそういう風に施されてる。」
「誰がどうしてそんなことをする必要がある?」
「分からない。けれど、客観的には同じ時間しか経ていないにも関わらず、外の世界から来たあなたが本当にタイムトラベルしたんだって信じ込むほど、この偽の五年後が技術的に進んでいるなら、すごく高い場所にいる人なんかにはそうする価値があったのかも。」
 ヘイリーが語る荒唐無稽な内容は、ただのタイムトラベルなどとは比べ物にならない。彼女の方がよっぽど妄想患者のようだ。だが一概に切り捨てることも出来ない。『組織』のエージェントとして、彼は妄想や虚言を見分けるポイントを詳細に心得ていた。そして、目の前の女はそれらの地雷を一つも踏んでいない。
 確かに、主観的な時間は二十四時間のまま、客観的な時間だけを圧縮して生産性を上げるなど、いかにも冷戦時代の社会主義国家なんかが政策としてやりそうなものだ。

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