「余程の田舎に住んでいたの、ええと――そう言えば、まだ名前を聞いてなかったっけ。」
女の目配せに対し、男は「エィンだ。」とだけ返した。
「ラストネームは?」
男はそれに答える代わり、溜息混じりに続ける。
「長らく一つのところに留まったことはないが、概ね都会で寝泊まりすることが多いな。」
都会のネズミでありながら、どこのダイナーにも置いてあるスクリーン・テーブルは珍しい――彼の発言の矛盾をどう思ったにせよ、女はそれを顔に出さなかった。
「なら、エィン。自分の名前や以前訪れた場所を覚えているようだし、良かったらこの白紙を埋めるのを手伝って欲しいんだけれど。」
彼女は眼下のモニターに表示されたウインドウの一つを指した。収容された患者の個人情報を記載するものらしい。昨晩この施設に収容されてすぐ撮影されたエィンの無愛想な顔写真が左上にあった。隣にはいつの間に打ち込んだのか、たった今告げたばかりの彼の名前が綴られている。
「まず、あなたがどこから来たのか教えてくれる?」
「『どこ』から?」と、だが男は嘲るような笑いを漏らした。
「質問が間違ってる。」
「はい?」
『いつ』だ、と彼は言った。
「『いつ』から来たのかを訊いてくれ。」
怪訝そうな表情を浮かべながらそれとなく手を口で覆った彼女が、その後ろで「いつ」と復唱するのが分かった。
彼は自身が来た西暦を答えた。
束の間、部屋の中が静まり返る。
「なあ――」泡を割るように、彼は問いを口にする。「――教えてくれ。近頃じゃ、インターネットっていうのはどれ位普及してるんだ?」
「インターネット?」女は首を傾げた。「インターネットって何?」
その返答でエィンは察した。と、同時に怒りが湧き上がってくる。
なら、俺は本当に未来へ送られてしまったんだ。
次の瞬間、彼は歯を食いしばると呻き声を上げながら体を激しく震わせた。
それは、今の今まで混乱で肚の底へ押し込められていた悔しさの突沸であった。守りたい存在を守れなかった果てに、こんな場所で無様にも拘束されている自分が忌々しくて堪らなかった。
だが、それも一瞬。