小説

『3番ホームで』宮本ともこ(歌舞伎『勧進帳』)

 私の名前は冨樫。仕事はローカル線の車掌だ。私は涙もろい性格で、高校生の娘が録画しておいたテレビドラマを一緒に見るのが楽しみだ。スートーリー展開の早い海外ドラマよりも男女間のもつれを描いたラブストーリーが好みで、ハッピーエンドのラストシーンに涙を流すのは娘よりも私の方だ。オジサンが韓流ドラマを見るのは気恥ずかしいが、娘と見るからには濃厚なラブシーンは避けて通りたい。男が女の手を握るくらいでちょうど良い。
 そのせいか、私は仕事中に出会うカップルが気になって仕方ない。今日も奇妙なふたり連れを見かけた。

 その時、私は勤務交代のため、渡り廊下を3番ホームに向かっていた。ふたりは人の気配のないホームの端にいた。そして、驚いたことに、男が転落防止の柵の上を歩いていたのだ。私は慌てて階段を駆け下りた。
「お客さん、降りてください。線路に落ちたら危ないから」私は息を切らしながら、叫んだ。だが、彼の答えは少年のように無邪気だった。
「電車が来るまで、暇なんだもん」
 私の注意を無視して鉄柵の上をひらり、ひらりと歩いている。黒光りした革靴が、私の前を往復していく。私は男の顔を見上げた。小柄で鼻筋が通っている。鼻先と鼻翼の部分だけは肉厚で、それが彼を意志の強い人間に見せていた。
 やがて、男はたたずむ女の横に軽やかに飛び降りた。
「次の列車は三両編成です。ここでは乗れませんよ」
 私はホッとして、小声で注意をした。すると、女が素早く反応した。
「あっ、失礼致しました」
 襟元に細かいフリルのついたストライプのシャツは清楚な印象だ。だが、体型はがっちりしていて、ジャケットのV字の衿の下におさめた胸は豊かだった。行き先をたずねると、女は東北行きの特急はどの駅で乗り換えられますかと、聞き返してくる。私は運行ダイヤで駅名と到着時間を確認し、ふたりに告げた。
 女はショルダーバックから手帖を取り出し、今日の日付のページを開いて、書きとめた。ハネやトメが目立つ筆圧の強い文字だった。女は自分がメモした駅名をしばらく見つめた後、決意するように手帖をパタンと閉じて、男の顔を見た。男も女の顔を見返した。だが、ふたりが目を合わせたのはほんの一瞬で、お互いの視線に弾き返されるように顔を背けた。人前で見つめ合うことを躊躇しているようだ。
 盗み見れば、女はルイ・ヴィトンの旅行鞄をさげている。一方男はというと、両腕を下げ、指先までまっすぐに伸ばして、ただ、立っているだけなのだ。

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