小説

『3番ホームで』宮本ともこ(歌舞伎『勧進帳』)

 こんなふうにスッと立っていられる人種は、教員か政治家ぐらいのものだと考えて、私はある人物の顔を思い出した。男の顔は県知事と良く似ていた。

 県知事が駅の視察に訪れたとき、年長者の私は駅長から案内役を任された。お付きの連中にまじって駅舎の中を歩き、たいそう居心地の悪い思いをした。特に感じが悪かったのは県知事と良く似た顔の青年秘書で、駅長は県知事側に乗車もアリとの約束を取り付けていたはずが、彼に断られてしまった。それだけでなく、防犯のために駅周辺の住宅の窓を閉めさせたり、視察前にホームを下見させたりと、常にピリピリしていた。
 後になって、この青年秘書は県知事の長兄だと知った。県知事の地盤を頼りに、夏の選挙で出馬するという。一市民として後援会の集りに参加したので、なおさら顔を覚えている。話のテーマは、娯楽の少ない過疎地域にドーム型のテントを持ち込んで映画を上映するという大胆なプロジェクトで、ドライな雰囲気の彼には似合わない気がした。

 私は少年っぽさの残る男の横顔に、ガツガツした長兄の面影をみつけた。鼻の形が良く似ている。はたして、彼は県知事の息子なのだろうか?
 もしも、それが真実なら……。
 県知事の息子である彼が、切符も買わずに女と乗り込む列車。人目を避けるあの素振り。いったい、どんな理由があるというのか。沸き立つ好奇心で私の頭にはアドレナリンが噴出し、ドラマチックな曲が流れ出した。
 だが、私は胸に車掌のバッチを着けている。勤務中にすることではない。名前を知りたい、正体を確かめたいという気持ちを抑えて、乗車口の黄色いラインまで移動するようにうながし、私はふたりに背を向けた。

 その後、私は発車メロディを鳴らす設備を点検するふりをして、着かず離れずの距離からふたりの様子をうかがっていた。
 女は男を経義さんと、男は女のことを慶子さんと呼んでいた。ふたりに動く気配はない。我慢できずに振り返ると、経義が慶子の手を取って眺めていた。まるで、傷口を探すような素振りだ。重い旅行鞄のせいで、慶子の掌にマメができたのかもしれない。経義は慶子の掌を自分の胸に押しあて、両手でおおった。経義の吐く息で慶子の前髪が揺れている。慶子は顔を上げ、ふたりはしっかりと見つめあった。

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