小説

『3番ホームで』宮本ともこ(歌舞伎『勧進帳』)

「あ~? 絶景スポット?」
 ナマハゲは慶子から視線を外し、ぽっちゃりに目で問いかけた。ぽっちゃりは首をかしげた。
 客車がざわめき始め、乗客たちはそれぞれのカメラやスマートフォンを取り出した。県知事の長兄はカメラの数をカウントするかのように、周囲を見回した。あきらかに、カメラの数に怯えている。山側のボックスに座っていた大学生のグループは、通路にひとがいると海の絶景が撮れないと、ブツクサ文句を言っている。私はタイミングを逃さなかった。
「え~。この後、電車が揺れますので、お立ちの方は座席にお戻りください」
「ここ、ひとり座れますよ」大学生が長兄に手を振った。
「行くぞ」ナマハゲはぽっちゃりにうながされて、慶子から離れていった。
 慶子は肩ごしに車掌室の窓を見つめていた。

 その後、乗客たちがカメラを構えて絶景スポットを待つうち、列車は隣の駅に到着した。上手く撮影できた乗客はゼロだった。仕方がない。初めから絶景スポットなどなかったのだ。

 到着するまでの間、私は慶子と経義のふたりだけ下車させる方法を考え続けた。もしも、長兄と共に一緒に列車を降りたら、ふたりはすぐに捉えられてしまうだろう。このまま、列車のなかにいればハプニングに飢えた大学生の視線が抑止力となって、手を出せない。だが、それではふたりを東北行きの特急に乗せることができなくなってしまう。

 私は車掌室のスクリーンの隙間から、様子をうかがった。長兄は大学生たちと同じボックスにひとりで背を向けて座っている。幸い次の駅は、急行の待ち合わせで停車時間に余裕がある。その間に長兄を足止めして、ふたりを列車から降ろそう。私はそう決意して、車掌室から滑り出た。

 私は切符を発券する端末機を胸の前に構えた。車内精算の案内をしながら通路を進み、大学生の座るシートの横で足を止めた。そして、県知事の長兄にわざとらしく向き直った。
「おや、あなたは」
 長兄の存在に初めて気がついたふりをして、私は彼の名を呼んだ。長兄は座席から立ち上がり、鼻腔をふくらませながら言う。
「車掌さん。以前、どこかでお会いしましたか」

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