小説

『ウラシマ』五条紀夫(『浦島太郎』)

 時が流れていく。まるで川のように、悲運の瞬間も、幸福な日々も、すべて等しく過去という海原に運ばれていく。そう、海だ。なにもかもやがては海の泡となって消える。それを心の傷を癒す優しさと捉える人もいるだろう。けれど、わたしにとっては、残酷な現象としか思えなかった。
 わたしの隣には、かつて父がいた。たった一人の肉親だった。幼くして母を亡くし、物心ついた頃には二人きりの生活が日常となっていた。裕福ではなかったものの、その日常は、眩いほどの幸福に包まれていた。ところが十五年前、わたしが十歳のとき、旅行中に訪れた海辺で父は消滅してしまった。解像度の低い画像のように全身がモザイク状となり、細かく砕けて虚空へと吸い込まれてしまったのだ。取り残されたわたしは警察に保護された。その際、目の前で起きたことを説明したけれど、誰も信じてはくれなかった。
 孤児となったわたしに心無い大人たちは言った。あの男は君を捨てたのだ、その事実を認められずに消滅という幻を見たのだ、と。父との日常も否定されたような気がした。わたしは頑なに首を横に振り続け、かつての眩い幸福に思いを馳せた。とはいえ、歳を重ねると共に、輝きは次第に失われていく。現実的な思考が波のように押し寄せ、大人たちの発言こそ事実だったのではないかと思えてくる。わたしは、それが怖かった。
「磯野さん。磯野亜矢子さん、聞いてますか?」
「え、あ、はい……」
 苛立ち気味に名を呼ばれ、力のない返事をする。目の前に座る男性刑事は短く息を吐き、調書に視線を落とした。わたしは、詳細な説明もなしに捜査協力を要請され、連行されるように警察署まで連れてこられていた。
「それでは十五年前の、お父様が失踪した際のことを教えてください」
「いまさら……」
 この刑事は失踪当時の担当者ではない。それは分かっているけれど、まったく悪びれない態度が腹立たしかった。信じてくれなかったくせに。そんな言葉が喉元まで込み上げる。それでもわたしは、父が見つかったのかも知れないという期待を寄せ、あの日のことを語ることにした。
 話を終えると、刑事は深く頷いて神妙な面持ちをした。そして、なるほど、と呟いてから、重々しい口調でわたしに告げた。
「磯野さんのお父様は、ウラシマになった可能性が高いです」
 その言葉を聞いてまず思ったのは、世間での俗称を警察も使うのだな、という間の抜けたことだった。ウラシマ。近年、世界中で、十五年以上前に失踪した人が、当時の姿のまま帰ってくるという現象が頻発していた。その帰還者たちのことを日本では、童話になぞらえ、ウラシマと呼んだ。

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