この安普請の下宿に入居して気づいたことが二つある。一つは、押入れの天井板が外れて屋根裏に忍び込めるということ。も一つは、各部屋の天井には必ず節穴があるということ。てなわけで住人たちの生活を覗き見る、それが郷田の生きがいとなった。
けれど今日は彼らの生活を覗き見ている場合じゃない。郷田のお目当ては一番離れた部屋に入居している遠藤。
水垢にまみれた共同水道の蛇口をひねって、欠けたコップに水を注ぎ、天井板を外して屋根裏に入る。節穴から住人たちをチラチラ見つつ、たどり着いたところは遠藤の部屋……の真上。郷田はそっと節穴の向こうを覗く。
いつもの位置、いつもの角度、ポカンと遠藤が口を開けていつものシエスタ。
郷田はスウェットパンツのヒモとパーカーのヒモ抜き、結んで繋げ、節穴に通して遠藤の口の真上まで下ろす。でもってコップの水を吸わせる。
ピチョ、ピチョ、ピチョ。
遠藤の口に水が入ったのを確認した郷田は、ヒモを元に戻し、来た道を引き返した。
トンテンカンテン! 天井板に釘が打ち付けられてるじゃんか。
「よし、次はどの部屋だ?」
「隣です。隣が終わったらさらに隣。で、また隣。それからまた隣……」
業者の呑気な会話は郷田の部屋から。
待って、ここにいる、出して! なんて叫んじゃう自分を郷田は想像してみる。業者に、いや住人らに、いやいや町中に、我こそは性犯罪者なり、ここに出歯亀あり、そこのけそのこけ変態が通る、そう喧伝するようなもので、待っているのは逮捕、軽蔑、都落ち。けれど背に腹は変えられない、後は野となれ山となれ。
「待って、ここにいる、出して!」
郷田は天井板を叩いたが、誰も気づきゃしない。悪いことには全ての節穴も塞がれてしまって、あら真っ暗闇。ことここに至ってようやく、玄関掲示板の『○月×日、天井の修繕をし〼』という張り紙がフラッシュバック。したところで後の祭り。
手元にはコップとマッチ箱。時間はむなしく過ぎる。おそらく朝を迎えただろうが相変わらず真っ暗で、眠気と倦怠感で時を判断するしかない。
「いざというときは火を放ってアピールしよう、俺はここにいる、と。でも焼け死んじゃうな……こんな独り言を言ってしまうあたり、俺もいよいよだな」
郷田は自らを笑った。同時に、情けなくなって鼻水をすすった。
「独り言じゃない。ちゃんと聞いてた」
暗闇から汚い声が。
郷田は火を向けた。