小説

『舌を切る』本間海鳴(『舌切り雀』)

「怜央さん!」
どうにかご飯が食べられるようになってから、私は怜央さんのバーに飛び込んで行った。怜央さんは驚いた顔をした後、またカウンターにオレンジジュースを置いてくれた。
「あのね、怜央さん」
私は席にまだつかないうちから、べ、と怜央さんに舌を見せていた。
「見て、見て、スプリットタンにしたんだよ。怜央さんが、気になるって言ってたから」
ほら、見てよ。私、怜央さんのためにここまでできるよ。美玲はこんなことしてくれないよ。本当に、美玲でいいの? 私にした方がいいんじゃないの?
「うわ、ほんとだ。どうだった? 痛かった?」
「うん、痛かった。すっごく痛かった」
でも、怜央さんのためだから。痛みも我慢して舌を切ったんだよ。怜央さんが、好きだから。
「いや~、マジか。やっぱ痛いよな~。俺もやろうと思ったんだけど、美玲に止められちゃってさ。だからすっげ~憧れる」
「美玲と別れたらいいじゃないですか」
そう言うと、一瞬怜央さんの動きが止まった。
「私、怜央さんのこと好きになっちゃったんです。だから、美玲には絶対にできないことをしてきました。怜央さん、好きです。私にしません?」
部屋の空気の速度が、遅くなった。玲央さんの耳のピアスがぶつかり合って、微かな金属音を立てた。怜央さんは、こちらに手を伸ばしてきた。私は目を瞑った。ゆっくりと、でもしっかりと、クレーンが降りていく。アームが開いて、怜央さんを掴む。来い。落ちろ。
「あー、もしもし?」
拍子抜けするほど呑気な声が聞こえて、私ははっと目を開けた。怜央さんは、スマホを耳に当てていた。そういえば、私の座っているカウンターのすぐ近くに、スマホが置いてあった気がする。あれは、怜央さんのものだったのだろう。

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