小説

『僕の前の道』吉岡幸一(『道程(詩)・高村光太郎(著者)』)

 次に痩せて蒼白く貧弱な男がやはりイーゼル越しに青年の前に立った。弱々しい声で撫でるように男は語った。
「もうこの先に進むのは止めなさい。ここがゴールでいいじゃないか。右の道の道に進んでも、左の道に進んでも幸福なんかにはなれないよ。右側から来た人も左側からきた人も、自分を否定したくないから幸福って自分に言い聞かせているだけなんだから。本当はどちらに進んでも不幸なんだ。幸福なんてものは誤魔化しだよ。自分で自分に催眠をかけているだけさ。この隣に立っている筋骨隆々の男だって同じさ。僕と同じ道を歩いてきたんだ。それなのに幸福だったなんて、そんなことはないよ。逆だよ。不幸ばっかりだったんだよ。目を瞑って、自分を誤魔化したらだめだ。もうここで終りにしよう」
「なに」
 貶されて怒った筋骨隆々の男はいきなり隣の貧弱な男の胸もとを掴むと殴った。貧弱な男は地面に飛ばされ倒れたが、同時に殴ったはずの筋骨隆々な男の方も地面にうつぶせになって倒れてしまった。別れているとはいえ、自分で自分を殴ったのだから、倒れるのは当然かもしれない。
 青年が助けようと思って立ち上がると、ふたりは海風に飛ばされるように、ふっと消えてしまった。

 青年は頭を抱えた。何が本当で何が嘘なのかわからない。幸福と不幸が区別できなくなり混乱していった。

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