小説

『蜘蛛の意図』結城熊雄(『蜘蛛の糸』)

 性根の腐ったお釈迦様とは違い、神田太一は純粋な男だった。良い奴にはどこまでも味方し力になる。悪い奴は徹底的に懲らしめ打ち倒す。単純だった。言い換えれば馬鹿と形容してもいい。
 たとえば生活に困っている友人には自分のことなど顧みず、いくらでも金を貸した。会社をやりたい親戚がいれば喜んで連帯保証人になった。それでいて会社が潰れ、借金が膨れ上がろうともあっけらかんとしているのだった。逆に神田の悪に対する敵対心は凄まじかった。恵まれた体格と根性の強さから喧嘩は負けたためしがない。法外な金利を吹っ掛けてくる借金取りには相手が二人でも三人でも立ち向かい、時には突き飛ばし死ぬまで殴り続けた。悪徳業者の事務所と思われるビルには火をつけて焼き払い、不正な取引を見つければ商品を根こそぎ奪い取って業者ごと海に沈めた。純粋であるがゆえに度が過ぎて人を殺めることがあったのだ。その数はゆうに三桁を越えるだろうか。そんな彼が家に毎日のように出る蜘蛛を生かしておいたのは、「蜘蛛は殺すな」という母親、妙子の助言を忠実に守っていたからだ。では人を殺すなとは教わらなかったのか、と問われれば答えに窮するより仕方がないわけであるが。
 神田は最後にはヤクザな輩の恨みを買って殺されてしまった。いくら大義名分があれど、犯罪は犯罪。神田が死ねば地獄に落ちることくらい、火を見るよりも明らかだった。

 神田は血の池を漂っていた。周りを見渡せば、聳え立つ針の山、ぐつぐつと煮えたぎる大釜、灼熱の火の海と、阿鼻叫喚で溢れていた。それらに比べれば幾分ましなように思えるこの血の池も、見た目以上に辛く苦しい。鉄の臭いを嗅ぎながらただ藻掻いているだけではない。終始、監視役の鬼に金棒で突かれ沈められる。運よく泳いで岸まで逃れたとしても、殴られ蹴られ、また池に押し戻されるのだ。いっそのこと溺れて死んでしまいたい。いくらそう願ったところで、すでに死んでいるのだから拠所はない。

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