小説

『真夏の浦島奇譚』小杉友太(『浦島太郎(御伽草子)』)

 結局、警察に通報する気持ちにはなれず、私とユリは爺さんをよしずで仕切られた食堂まで連れて行った。そこでアイスティーを出してみてハタと気付く。浦島太郎の時代の日本にこんな飲み物はないはずだ。ところが、太郎爺さんは器用にストローを使って喉を鳴らす。やっぱり手の込んだ狂言だったか、と一瞬怒りが湧いたのだが、爺さんが言うには以前いた場所でいつも飲んでいたという。その後もユリが熱心に色々な質問をした。その都度爺さんはフガフガとではあるが淀みなく答える。要領こそ得ないものの、竜宮城らしき建物の中で乙姫という女性と三年間ほど一緒に暮らしていたという話は決定的な証拠のように思われた。しかもユリによれば、爺さんの話は童話ではなく原典の方にこそ近いという。ユリは日焼けと下手糞な化粧のせいで一昔前のガン黒ギャルの印象を与えるが、実は大学の文学部に通っているのである。学部では古典を専攻していて、丁度浦島太郎の出てくる「御伽草子」という本も勉強したのだと胸を張る。彼女が言うには、乙姫様について爺さんが語った「亀みたいな顔しやがって」という愚痴めいた台詞が、乙姫を亀の化身とする原典とピッタリ一致するらしいのだ。高卒フリーターで長期アルバイトを転々とするだけの私には判別がつかないが、ここはユリの驚愕の表情を素直に受け入れるしかない。
「しかし竜宮城ってのはまるで現代の日本みたいだな」
 ひと通り話を聞き終わってから私は言ってみた。太郎爺さんは食堂の液晶テレビを見ても「相撲はやっとらんのか?」などと慣れた事を言うし、私のスマホを見ても「乙姫も持っとった」と目を細めるのである。
「うん、これはタイムスリップね。太郎さんは未来に連れて行かれた。そして過去に戻るんだけど時代がズレて現代に落ちた、そんな話だと思う」
「おい、信じるのか?」
「信じるよお。私こういう話好きだもん」
「じゃあ、玉手箱開けたらジジイになるってのはどういう理屈なんだよ」
「ねえ、太郎さん、乙姫様は本当に箱は開けちゃいけない、って言ったの?」
「言った。なんべんも言っとった」

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