小説

『真夏の浦島奇譚』小杉友太(『浦島太郎(御伽草子)』)

 ユリと私が爺さんから聞き出せたのは、まったくもってよくわからぬ話である。この辺りに住んでいたのに見覚えのあるものがすべて消えてしまった、と爺さんは訴える。そのくせ、どこから来たのかと質問しても答えは要領を得ないのだ。ただ、こういう言動は老人には珍しくはない。私の祖父も他界する前に罹っていたアルツハイマー病だろうと見当を付けた。尻のポケットからスマホを出して、警察を呼ぼうとしたその時である。
「この箱を開けてしまったのじゃあ」
 爺さんがふいに大声を出してさめざめと泣き始めた。何やら四角いものを大事そうに抱えていた事には気付いていた。持ち物といったらそれしかなく、私は常備薬でも入ってんのかな、とあまり気にしてはいなかった。しかし今私の目の前に差し出されたその箱は、美術に疎い私にしても美しいとしか形容できぬ見事な一品だったのだ。小ぶりではあるが全体に海の色の様なコーティングが施されている。そんなものがあるかどうかは知らないが、マリンブルーのうるし塗りといった感じで、爺さんのいで立ちとは似合わぬ高級感を醸し出していた。側面にもホタテ貝や骨みたいな貝の彫刻が施してあり格調が高い。とはいえ感心している場合でもなく、私はこの爺さんが盗んだものと考えた。ところが、突然ユミがこう呟いたのだ。
「玉手箱…………!」
 すると爺さんの目の色が変わる。
「おお、玉手箱。そうじゃ、乙姫はそう言っとった!」
 私も思わずあっ、と息を呑んだ。まさかとは思いつつも、爺さんの話した内容と辻褄は合っている。この浜辺の近くに住んでいたのに風景が変わってしまった。あったはずの家はなく、両親もどこにもいない。そして「玉手箱」を乙姫という人から貰っていたので開けてみた、と語るのだ。血相を変えてユリが爺さんに名前を訊く。当然とばかりに「太郎」と名乗られては、もはや私とユリは黙り込むしかなかった。

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