小説

『チェロの糸』伊藤東京(『蜘蛛の糸』(芥川龍之介))

 私が物心ついた時には、二歳年上の兄はチェロリストになる為毎日練習していた。母が付きっきりで一日二時間必ず練習させるので、兄が小さかった時は泣いて嫌がるのが常だった。それでも兄は泣きながらチェロの練習をし、その後は決まって私を恨めしそうに殴ったり蹴ったりした。というのも、私は楽器の練習をしなくていいからだ。
 音楽一家の中で私だけ音楽の才能がなかった。高校一年生になった今まで、父にも母にも楽器の弾き方を教えてもらったことがない。兄がまだ小さかったころ、なぜ妹は楽器の練習をしなくていいのかと何度も両親に訴えていた。その度に二人は、奏恵はいいの。奏恵は違うから。と曖昧な返答をして有耶無耶にしていた。
 中学一年生くらいの時、兄への音楽指導の熱心さに対してどうして私には指導しないのか疑問に思い、直接母に質問したことがある。母が言うには私がまだ小さかった時、ピアノの指導をして私に絶対音感がないことを確信したから音楽家にする道は諦めたのだという。
記憶すら残らないほど小さい時には既に、音楽家になることを諦められていたと知って驚いたけれど、思ったほどショックではなかった。
 両親共に兄の指導に熱心で、私への指導との激しい温度差に苦しめられた。誰も私には期待していない。それでも家族間で仲間外れにされたような疎外感や孤独感を埋めるために楽器の弾き方を学びたいとは思えなかった。興味のないものを必死に学んでまで家族の注意を引きたい獲得したいとまでは思っていないらしいと分かると、自分が酷い人間のように思えた。だから両親を責めることはできない。
 兄が何度も音楽のコンテストに出る度に、先生やクラスメイトの保護者が、お兄さんはすごいねと言って私を苦しませる。いつしか両親だけじゃなく、そういう周りの他人を振り向かせるためにも勉強に力を入れた。私には音楽のような、わかりやすい才能はないし、学生である以上、常にテストの成績表と全国共通テストの順位で競うことしか思い浮かばなかった。

1 2 3 4 5 6 7 8