小説

『チェロの糸』伊藤東京(『蜘蛛の糸』(芥川龍之介))

 一階に着くと母は既に、母と私の分の皿をテーブルに置いていて、ナイフとフォークを持ってくるところだった。
 席につき、遅い夕食を母と一緒にとる。沈黙の中、兄のチェロの演奏が微かに聞こえてきた。本来なら心地よく聞こえるのかもしれない演奏も、私にとっては夕食の緊張感を高めるだけでしかない。暫くすると演奏が止まり、壁越しに父の声が聞こえた。すると、食事を済ませた母は黙って席を立ち、そのまま二階に向かった。やがて母の声も壁越しに聞こえ始める。私は自分の食事を終わらせた後、食器をキッチンに持っていき、洗ってから自分の部屋に向った。
 部屋を開けると、描きかけのデッサンがイーゼルの上にあり、いくつもの鉛筆とグレー色の練り消しが机の上に置いてある。私は椅子をイーゼルの前に持ってきて、鉛筆と練り消しを左手に握り、そのうちの一本を右手に持ってデッサンの続きを描き始めた。
 私の家族は音楽家一家だ。兄が生まれる前、父も母もバイオリニストとして活動していたらしい。
 両親のファンだという人には会ったことがないけれど、小学生の時からクラスメイトの親に「奏恵ちゃんのご両親の演奏、この前聞いたよ」と言われるので、地元で少し知名度があるくらいなのだろう。
 兄が生まれてからは、父は音楽関係の会社を企業して、母は家の一室を使って個人でピアノ教室をしている。

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