次の日の夜、俺はしゃがれ声の男の車に乗った。車の中はエアコンが効きすぎているのか妙にヒンヤリとしている。
「緊張しているのか」男はからかうように言った。
どこをどう走ってるのかはおぼろげにしか分からない。十分ほど走った後で車を降りると、いきなり近くででかい汽笛の音が鳴ってどきりとした。
港に着いたようだ。潮の香りは嗅ぎなれている。
男の冷たい手に引かれて鉄の板のような足場を渡る。着いた場所は大型クルーズ船のようだった。周囲に多くの人が行き来し、会話している気配がある。
反響から判断して広いホールらしい場所で、男からマイクが手渡された。
いきなり老いた女性の声が響き渡るとざわめきはぴたりと止んだ。
「芳一とやら。壇ノ浦事件を謡え」
その口調は逆らい難い威厳があった。
直接返事するのもためらわれたので、俺は、小声で男に言った。
「あのう、確かにそれは自分の持ち歌ですが、この場にはふさわしくないんじゃあ……」
「かまわん。始めろ」男はそっけなく答えた。
ここまできたらしかたがない。こんな会場で歌うなんて初めてだ。手が冷え切ってるし、声が思うように出ない。
だが、俺は物語を謡い始めた。