小説

『トマトの重さ』綿貫歌(『死神(落語)』)

 さてそれからというもの、もうすっかり単位を取ったものとして授業なんてろくに聞かなかった。あの教授の気に食わない顔面をまともに見ずに済んだこともあり、僕の精神は非常に健やかで、体もどこか軽やかであった。健全な精神は健全な肉体に宿るとはいうがその逆も然りであることを私は身をもって知った。
 試験の一週間前になり、私はいつもの場所で老婆から例の茶封筒をしかと受け取った。私はどうにかお礼をしたいと言ったのだが、老婆は薄く笑ってその言葉を流した。そして老婆は言った。
「じゃあ、これで最後です。アナタの人生が愉快なものでありますように」
 それだけ言うと、一度も言葉を交わしたことのない他人のような顔で僕の前からいなくなった。その老婆には、それ以後二度と会うことはなかった。

 僕は一週間後、農学基礎Ⅱの試験に臨んだ。試験の始まりの合図を告げる教授の声と共に、問題用紙をめくった。
 僕はその数秒後、血の気が引くのがわかった。いや、全身の血が地面に流れ落ちるような感覚に襲われた。
 問題が全く違うのである。
 そんなはずはないと全てのページをめくって最初から最後まで何度も何度も穴が開くほど見返したが、老婆の寄越した問題と重なるところなど何処にもなかった。私は泡を吹きそうになりながらシャーペンを持ち直した。しかし、まともに授業を聞いていなかったのだから単語一つ書けないまま時間は無情に流れていった。

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