小説

『トマトの重さ』綿貫歌(『死神(落語)』)

 女は研究室の窓から外の景色を眺めていた。雪がうっすらと地面を覆う季節であったから、フェンスに囲まれた畑には当然何も生えていなかった。女は片手に持っていた白髪頭のかつらを目の前に持ってくると、おもむろにそれを被った。そして研究機材が入ったガラス棚に映る自分の姿を見て、少しだけ声を出して笑った。彼女しかいない研究室にはその声はよく響いた。
「何だいそのかつらは」
 準備室から顔を出した男が尋ねた。女は男の方を見ると嬉しそうに答えた。
「私、大学院に入る前は演劇部に所属してたんですけど、お部屋の掃除してたらその時使っていたお婆さんの衣装が出てきたんです」
「それでわざわざ持ってきたのかい」
「ハロウィンに使えるかなって」
 男は呆れたように微笑むと言った。
「ハロウィンなんてとっくの昔に過ぎてしまったじゃないか」
 女はわざと驚いたように「わあ、ホントだ」と言った。
 男は女の肩に腕を回すと言った。
「ハロウィンは過ぎてしまったけどクリスマスはこれからだ。どこか行きたいところはあるかい」
 女はその可愛らしい口元を引き上げると男に抱きつき「教授って可愛いところありますよね」と言った。
「そうかね」と教授が言うと女は教授の腕の中で頷いた。
――パソコンのパスワードを好きな女の誕生日にしちゃうところとか。と女は口元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「ねえ教授」
「何だい」
「私が頑張って品種改良を重ねた大切なトマト達と阿呆な大学生の一年ってどっちが価値があると思います?」
 教授はその奇妙な質問に対して「それはトマトだろう」と答えたものだから、女はとても満足気な顔をした。

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