小説

『武道家たちの恋』川瀬えいみ(『鬼娘』(青森県津軽地方))

 真弓は黙り込んでしまった。
「だが、恋心というものは、消そうと思って消せるものじゃない。思い悩みながら山の奥深くに分け入った鬼娘の目の前に、突然深い淵が現われた。淵の向こう岸には大木が立っていて、その木が『お前は心の優しい感心な娘だ。私の影に向かって飛び込みなさい』と、鬼娘を誘ってきた」
「待って」
 真弓の眉が、不安で曇る。彼女の不安を一刻も早く消してやりたかった俺は、真弓の制止を無視して、話の先を急いだ。
「娘はその声に従って、水面に映る大木の影に飛び込んだ。そうしたら、どういうわけか、娘は不思議なほど心が澄んで、素直な気持ちになれたんだ。で、結局、鬼娘は若者の申し出を受け入れ、若者の許に嫁いで幸せに暮らした」
「あ、その娘は幸せになれたのね。よかった……」
 真弓が安堵の息を漏らし、小さく呟く。
 真弓が鬼娘に重ねていたのは自分自身だったのか、それとも貴子さんだったのか。もし貴子さんだったのだとしても、真弓はこのハッピーエンドを喜んだだろう。真弓はそういう奴だ。
「水に映る大木の影というのが何を暗示しているのかがわからなくて、俺は子どもの頃からずっと考えていたんだ。影は、鬼娘の心の中の迷いを暗示していて、その中に飛び込むことで、鬼娘は自分の本当の気持ちに気付いたのかもしれない。あるいは、その影は、鬼娘の優しい心に報いようとした山の神や水の神の神通力の現われだったのかもしれない。とか、まあ、いろいろ。ガキの頃の俺は、物語には、必ず意味や教訓が織り込まれているものと思い込んでいたからな」

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