小説

『歳蕎麦』藤咲沙久(『時蕎麦』)

 夕刻、茶屋の看板娘を呼び止めた。
「何時だって? いやだよ弥兵衛さん。時刻よりも、先日のお団子代を数えてくれなくちゃ」
 こいつはいけねぇ忘れてた、と今日のお茶代と併せて払うと、財布の中は細かな一文銭だらけになった。じゃらり、じゃらり、鳴る音ばかりが立派である。
 手掛りが掴めず困った弥兵衛は、ついには娘のお琴にも尋ねた。
「あたし、わかるよ。さっき鐘が鳴ったから、えぇっとねぇ」
 指を折ったり伸ばしたりしながら懸命に教えてくれたお琴が可愛くて可愛くて、弥兵衛はでれでれと笑った。
「そうか、そうか。ありがとうなぁお琴。お前は賢いなぁ。今度羊羮を食わせてやろうなぁ。母ちゃんには内緒だぞ」
「あたし、もう七つだもの。鐘だって数えられるわ。でもねお父ちゃん。ようかんよりも、おまんじゅうが食べたいんだ。三日寝たらね、そこの通りに新しいおまんじゅう屋さんが来るんだよ。西の国からね、来るんだよ。佐吉さんが教えてくたの。一緒に食べたいねって」
 これに弥兵衛は額を打った。佐吉と言えば八百屋の息子だ。お琴よりも五つ歳が上である。あの小僧、ちょっと鼻筋の通った男前なくらいで、情報通をぶってお琴に近づきやがって。お琴と饅頭を食うのはお前でなくてこの俺だからな。そんな風に無駄な焼き餅をゴウゴウと焼いた。
「よぅし、約束だ。三日寝たら来るんだな。よし、よし。いいか、その日になっても澄ました顔をしておくんだよ。八ツ時になったら、ちょっと遊びに行ってくるよと言って、通りに出ておいで。そうだな、饅頭屋の前でいい。俺も鐘が鳴ったらすぐに行く。なに、仕事? 大丈夫大丈夫、父ちゃんは岡っ引きだからな。町を見て回るのも仕事のうちよ」
 かくして愛娘との逢い引きが決められたが、結局「何時だい?」の問題は解決しなかった。弥兵衛はやっぱり首を捻った。

1 2 3 4 5