小説

『イマジナリー孫』柿ノ木コジロー(『舌切雀』)

 完全に口調が弾んでいる。
 家まで行かねばならないのだろうか。ほどほどの住宅地のようだし、『竹山翔太郎』の家族も同居しているだろう。危険すぎる。
「バスで行くからさ、小黒駅のターミナル、きらきら噴水の前で」
「えっ」
「だってショウちゃん、父さんや母さんには会いたくないだろ?」
「……」その通りだ。
 そしてあっさりと、日曜日午後二時のランデブーが決まった。

 当日。
 十二時半には現場近くの柱の陰で噴水を見張っていた。チューリップハットに近いつば付き帽、黒縁眼鏡に大きめのマスク、いざという時に猛ダッシュできるようジョギングシューズ。
 えへん、えへんと何度か軽い咳払いをしてみる。婆さんに一目で「孫じゃない」と言われた時にはすぐに「今日、ヤツちょっと熱出して」と作り声を出せるように。
 位置取りはばっちりだ。彼女が乗ってくるバスは8番系統だから噴水の向う側、やや左手の3番に停まるはずだ。ここからならば乗り降りがすべて把握できる。
 伸びあがったところをいきなり、後ろから
「ちょっと」
 袖をつかまれ、俺は小さな悲鳴とともに飛び上がった。
 おそるおそる振り向くと、そこには小柄な老女がニコニコしながら立っている。
「お、おおおお」俺の脳内はフルパニックだ。この婆さんは何だ? 小奇麗なベージュのワンピースに真珠のネックレス、じゅうたんみたいな花柄の小さなキャリーケースを後ろに従えている。道を聞こうというのだろうか? しかし、婆さんはひとこと、
「ショウちゃん」
 そう叫んだきり、思いっきり俺に抱きついた。
「お、お、お、おば、おば」口が回らない。何を言っても嘘になる。
「あんまりにも会いたくて、二時間早く来ちゃったんだよ、ホント、会いたかったよお」
「な、泣かないでよ」
「すぐ判ったよ、すぐショウちゃんだって」
「うん、泣かないで」
 通りかかる連中の視線を浴びて、俺は更に焦る。と、彼女の後ろに茶髪の女子が立っているのが見えた。私服だが、女子高生のようだ。どちら様? と訊ねなくてよかった。すぐに婆さんが言ってくれたからだ、俺の胸の中で。

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