小説

『21番目のこぶ』白石如月(『こぶとりじいさん』)

街路樹の葉はすっかり落ちて色あせた。その寂しさとは反対に、私のお腹は月が満ちるようにふくらんでいる。体力作りの散歩は習慣となり、近所の公園をぐるりと歩いていたときだった。ギクッとなった。
特徴的な顔貌の男女たちがゴミ袋を広げて枯葉を集めていた。水色の作業着姿で、つきそいの男性職員が指示を出している。
「こんにちは!」
 捕まえられたと思った。いや、相手にいやらしい気持ちなどない。逃げ腰になってしまったのは、私の問題だ。
「こんにちは!」
 別のダウン症の女性にも話しかけられた。こんにちはの輪が広がっていく。みんな三十歳前後だろうか。正直よくわからないけど、その笑顔は優しく朗らかで、健やかそのもので、私は腹部に痛みを感じた。
 赤ちゃんが蹴っている。これまでにないほど力強く。ここにいたくないってこと? ここから離れたいってこと? 私は赤ちゃんのせいにして、急いで公園を出て帰宅した。
家の中はベビーグッズであふれている。肌着もおくるみもとっくに水を通しているのに、私はまた洗いはじめた。哺乳瓶やベビー食器もまた消毒した。窓ガラスを隅から隅までみがき、フローリングの端から端までふいた。体を動かしていないと、一時の情動に流されてしまいそうで。
 クローゼットの扉を開け、またギクッとなった。衣装ケースのかげに隠すように紙袋が置いてある。手に取ると、はたして五百万円の束が入っていた。
 私は手の震えを見つめた。左手の小指は、子どもの頃のケガの後遺症であまり動かせない。先天的な障害がなくても、後天的な病気やケガや事故で、いくらでも障害を負う可能性はある。なのに、初めから逃げていたら、この子の「そのとき」に向きあえないんじゃないだろうか。こんな気持ちも、動揺しているための一時の情動だろうか。いや、本当はこの三ヶ月、ずっと怖かったんじゃないだろうか……。
私はそっと涙をぬぐった。それから紙袋をバッグに入れ、車のキーを握った。
 家を出てすぐ、倫子さんに電話をかけた。でも何度かけてもつながらなかった。最後には着信拒否の音声ガイダンスが流れてきて、私は仕方なく諦めて車を発進させた。
倫子さんの選択が間違っているわけでもないのだ。同時に、私が正しいわけでもない。ただ、私はもう一度、辻堂に行かなければと思った。それだけのことだ。そして今日向かわなければ、おそらく二度と、あの店にはたどりつけない。
 紙袋には預かり証である質札も入っていた。期限は今月末だ。
クリスマスカラーに彩られた街はすでに見飽きていて、あの日と同じように、やがてザッと雨が降りだした。

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