小説

『私と、あたしの手袋』ウダ・タマキ(『手ぶくろ』)

 仕事を終えて今日も駅からいつもの家路を辿る。すると、昨日と同じ場所に昨日と同じように例のおばあさんがいた。
「こんばんは」
「あら、こんばんは」
 その表情は間違いなく「はじめまして」のものだった。
「おばあさん、昨日もお会いしましたね」
「そうだったかしらねぇ」 
「寒いのに、ここで何してるんですか?」
「シーっ」
 おばあさんは右手の人差し指を口に当てた。私の手袋をはめた右手を。
「どうかしました?」
 おばあさんは駅の方へと続く道に視線を向けた。
「もうちょっとしたら、夫が帰って来るのよ」 
「お出かけされてるんですね」
「仕事よ。残業が多いから、いつもこれくらいの時間になるの」
 それは嘲笑する表情に見えた。しかし、明らかに八十を超えているだろうおばあさんの夫が現役で働いているとは、にわかに信じ難い。いや、年の差夫婦なんてこともあるか。はたまたシルバー人材なんかで今も勤めに出ているのか。あぁもう、私の頭は手袋よりも、そのことが気になって仕方ない。って、それはまずい。タイムリミットはあと四日。
 だけど……電柱の影に隠れ、いまや遅しと夫の帰りを待つおばあさんに手袋のことは切り出せなかった。

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