小説

『春燈夜話』九重佑絃(『幽霊飴・子育て幽霊』(京都府))

 扉を叩く主は、まるで気まぐれか思いつきのような不規則な訪問を、その日を境に続けるようになった。ぼんやりと確認した閉め切ったカーテンの向こうにほのかに残る明るさが薄闇に吞まれていく時間の日もあったし、かと思えばもう今にも夜の闇が破れて朝が活気を取り戻そうとしている時間の日もあった。とにかく扉の向こうのその人は毎夜、私の部屋を訪ねることに終始した。人かはわからないのだけれども。
 私はといえばその訪問者に対し、当初こそ朦朧とする意識の片隅で気味の悪さを感じていたものの、かろうじて働く警戒心のおかげなのか単にその相手への関心を放棄していたのかは判然としないながら扉を開けたりと応対することはないまま幾日もをやり過ごしていた。扉が叩かれれば叩かれるまま、そのいつ消えるとも知れない弱々しい音をただただ受動的に耳にし続けた。
 また幾日かが過ぎたある夜。とろとろと意識を溶かす怠惰めいた睡魔の合間で収縮しきった胃壁が痛覚を訴えているのを感じていると、またぞろ扉が音を立てた。その頃にはもう、当初かすかに感じていたなけなしの恐怖や薄気味の悪さといったものは失せていて、もはや今夜も来たかという確認に近い気持ちが胸中にはあった。床に転がり、目を閉じたままその揺れるともしびのような音を聞くともなしに聞いていた。
 と、その中でこれまでの夜にはなかった、もうひとつの音を私の耳は拾ったことに気付いた。
 扉が叩かれるようになってほとんど初めて、注意深く耳を澄ませた。それは不規則に叩かれる扉の硬質な音に呼応して、あるいはまったく無視して、長く短く、かすかに、私の元に届いていた。
 乳児の泣き声だった。

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