小説

『二人羽織』斉藤千(『芝浜(落語)』(東京都))

「おーい、寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末雲来末風来末、食う寝るところに、住むところ、やぶらこうじの、ぶらこうじ、パイポ、パイポ、パイポの、シューリンガン、シューリンガンの、グーリンダイ、グーリンダイの、ポンポコピーのポンポコナの、長久命、の長助。お前、いつまで寝てやがる」
「寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末雲来末風来末、食う寝るところに、住むところ、やぶらこうじの、ぶらこうじ、パイポ、パイポ、パイポの、シューリンガン、シューリンガンの、グーリンダイ、グーリンダイの、ポンポコピーのポンポコナの、長久命、の長助君。あーそーぼー」
「大丈夫か、寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末雲来末風来末、食う寝るところに、住むところ、やぶらこうじの、ぶらこうじ、パイポ、パイポ、パイポの、シューリンガン、シューリンガンの、グーリンダイ、グーリンダイの、ポンポコピーのポンポコナの、長久命、の長助!」
 自慢じゃないが、噺家になってからこっち、俺は「寿限無」を完璧に言えたことがなかった。稽古を付けられていた時は必死になって暗記したが、その場限りですぐに頭からは抜けた。師匠もそれを見抜いて諦めたようだった。
 それが今、俺の口から淀みなく出ている。俺の声で、師匠の喋りが再現されている。
 客席からは笑いも聞こえる。これまで失敗して嗤われることは何度もあった。だが、今は、意図したところで笑いが起こる。
 俺が、落語を通してお客を笑わせていた。
 嗤われるのではなく、笑わせていた。
「どうだ半公、気持ちいいだろ」お客の数からすると最大限かと思われる拍手の中で頭を下げながら、師匠は言った。「これが落語だぜ」
 俺は何も言い返せなかった。
 もう一度この気持ちを味わいたい。頭の中は、そんな思いでいっぱいだった。

 今まで鞭を入れられ渋々走っていたのが、目の前に人参を吊されたように自分から走るようになった。俺は進んで師匠に稽古を頼んだ。
 師匠に身体を預けたのは、あの「寿限無」の一回きりだ。後は自分で高座に上がり、お客を笑わせた。初めはしくじりもあったが、徐々に手応えが感じられるようになった。手応えが増えると共に、蝶福亭半角の名前が評判になり出した。評判はまさに、鰻のように昇っていった。
 気付けば目が回るような速度で時間が進んでいた。途中から自分がどこで何をしているのか把握するのをやめた。俺は高座に上がって落語をし、お客を笑わせた。いつの間にか、何を言っても爆笑が起こるようになっていた。

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