小説

『君に見せたかった、ふるさとの花』さくらぎこう(『西行法師作「山家集」「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃」』)

 長谷寺の桜は「桜の浄土」と言われているほど見事な桜の世界が広がっている。
舞台の上から見下ろすと広がる桜色の世界を、古の人々は「まるで浄土のようだ」
と感じ、死んだらあのような浄土が待っているのだと信じたのだ。
 確かに長谷寺の桜は、それが納得できるほど精神性を感じる。
 西行法師は「山家集」の春の章全173首の内、103首が桜の歌だ。桜の歌人と言われている所以だ。
 浄土は死後の世界を信じていた人々の救いだった。それほど満開の桜は一切の煩悩やけがれを離れ、仏や菩薩が住む清浄な国土に思えたのだ。
「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃」と西行法師は詠い、生涯の終わりには桜を眺めながら死んでゆきたいと願った。

 人間はいつかは死ぬ。早いか遅いかだ。
 私は望んだ夢を叶えることができず、山下は全て手に入れた。今、最愛の妻の最期の望みも叶えてあげられるかどうか分からないと苦しんでいる。
 目の前の彼は無力を嘆いていた。
 あの時行っておけば良かったという、普通ならそれほどの大事ではない後悔が、今これほど重く彼にのしかかるとは思ってもいなかったのだ。
 しかしそうだろうかとも思う。これからの余生を「桜の浄土を見に行こう」と励まし寄り添い続けることで良いのではないか。たとえ叶わなかったとしても、それは実際に桜を見る以上に春子さんにとって貴重で幸せなことのように思えた。

 私の言葉に、山下が「そうだな」と小さく笑った。

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