彼と『合わない』と感じるようになったのは、結婚を意識して一緒に暮らし始めてから。一緒に暮らし始めたのに、私と彼の関係にはどんな変化も生じなかったのよね。ただ帰る家が同じになっただけで。
まあ、オフィスで頻繁に顔を会わせる平日は、変化がないことに問題はなかったかもしれない。でも、休日も、これまで通りにすれ違いばかりっていうのはどうなの。
彼は、釣りに付き合わせても退屈させるだけだろうと考えて、私を誘ってくれない。同じ理由で、私も、彼を私の趣味に付き合わせられない。私に美術館に行ったり、友だちと会う予定があればいいんだけど、予定のない休日は、同じ家で暮らしている分、余計に、一人でいることが寂しく感じられて――。
そんな一人きりの休日を何日か経験して、私はやがて、休日には嵐がきて海が荒れればいいのにと思うようになった。そうすれば、彼は海に出掛けていかず、私と一緒にいてくれるから。
休日の晴れた空を恨めしく思うなんて、以前の私ならあり得ないことだった。
その日も休日。バルコニーの向こうに広がる晴れた青空をぼんやりと眺めていた私は、ふと、私に名前をつけてくれたおばあちゃんに聞いた昔話を思い出した。おばあちゃんの実家の辺りに伝わる、海女と大あわびの話。
昔、千葉の岩和田の海の底には、触ると嵐が起こると信じられてる大あわびがあったんだって。嵐が起きて海が荒れれば、恋人の漁師が漁に出られなくなって自分の側にいてくれると考えた海女が、後先考えずに、銛で大あわびを傷付けた。途端に、海は大荒れ。漁に出ていた彼女の恋人も、彼を助けるために沖に向かった海女自身も、大波に呑まれて、海の藻屑と消えてしまった。そんな伝説。
恋しい男に側にいてほしいと願う海女の恋情が、恋を成就させるどころか、恋そのものを消し去ってしまった。そんな悲恋物語。
子ども向けの絵本で見たことがないのは、海に生きるたくましい男女の恋に、妙に生々しい熱を感じさせるところがあるからなのかもしれない。
実際、子どもの頃の私は、その話が好きじゃなかった。
いくら好きな人と一緒にいたいといったって、そのために好きな人の仕事の邪魔をし、あまつさえ死なせてしまうなんて、愚かの極み。恋人の漁師だって、生きていくために頑張って働いていたんだろうに、海女はあまりに自分勝手すぎる。同じ浜で働いていた同業者たちにだって、海女のしたことはいい迷惑だったろう。