小説

『花に嵐のたとえもあるが』川瀬えいみ(『海女と大あわび』(千葉県御宿町))

 でも、以前は、そんなことは大した問題ではなかったの。私と彼は職場恋愛。平日は毎日オフィスで顔を会わせていたから、休日くらい会わなくてもいいだろうと思っていた。友だちから始まった恋だったから、私たちの付き合いはどこかのんびりしたものだったように思う。

 私と彼が知り合ったのは五年前、就職時。私たちは同期入社で、学部は違ってたけど同じ大学出身だったから、それかきっかけで親しくなった。
 友人同士だった頃、恋人として付き合い始めた頃は、こんなに波長が合う人は他にいないんじゃないかと感じていた。
 完全無欠の神ならぬ身、もちろん、私たちにはそれぞれに欠点はあった。そんな二人が、仕事や友人、家族のことで、愚痴を言ったり自慢したり、慰められたり励まされたり。時には喧嘩をすることもあったけど、何ていうか、すべてが許容範囲内。どうしても我慢できない欠点や、どうしても許せない言動っていうのがないの。逆に、いいところはいっぱいあった。
 彼の趣味の釣りだって、一緒に海に行こうとは思わなかったけど、すごくいい趣味だと思ってた。

「事前にあれこれ用意して、時間と金をかけて、街から海まで出掛けていくんだ。もちろん釣果は多い方がいい。だけど、釣りの醍醐味は、釣った魚の大きさや数にだけあるものじゃないんだ。釣りの道具を大切にする。釣法や餌に工夫を凝らす。釣りに行くたび、海は様子が違っていて美しい。その場に臨み、魚に向き合って、その心を想像したり、無心になったりする。海を見詰めながら、自分の日々の暮らしを顧みたり、人の心に思いを馳せたりすることもある。そして、釣りを終えたあとの余韻を楽しむ――。釣りは、一つの道なんだよ。武道や茶道、花道と同じだ。形や所作だけを習い整えるだけじゃなく、知力、体力、気力を使い鍛える、精神修養の一種でもある」
 そんなふうに語る彼を好ましいと思った。高級な釣り竿の値段を聞いてひっくり返りそうになったりもしたけど、趣味がギャンブルや酒煙草なんていう人に比べたら、全然まし。
 釣りは精神修養と言い切るだけあって、彼には短気なところが全くなくて、基本的に穏やか、かつ大らか。仕事にも熱心で、評価も高い。彼は、友人としても、恋人としても、自然にその懐に飛び込んでいける人だった。

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