小説

『傾国』椎名爽(『刺青』谷崎潤一郎)

 長い黒髪に隠れて全貌が分からなかった園田さんの顔は整っていて、まるで何人もの男を誑かしてきたかのように妖艶に見えた。白い脚と丸い踵、五本の足指は繊細で、薄紅色の爪は美しい貝殻のようだった。
「ソファーに座りなよ」
言われたとおりに座る。園田さんは冷蔵庫から缶ビールを持ってきた。
「さ、一緒に飲も」
缶ビールを手渡され、恐る恐る口をつける。
 最初は緊張してしまい酒の味なんて分からなかったが、無理やり飲んだせいか酔いがまわり、俺の口数は多くなっていった。園田さんもいろいろと話してくれた。初めて知ったが、園田さんは古代中国史を専攻しているらしく、まるで昔話を聞かせるかのように優しい声で中国の歴史を話し始めた。
「この前ね、末喜っていう女の人が授業で取り上げられたの。夏王朝の、桀っていう王様の妃。桀は紂王とも呼ばれるんだけど。末喜は絶世の美女で、桀は末喜の美貌に目がくらんで、ついに王朝は滅ぼされちゃうの」
「へえ、怖い女だねえ。園田さんも美人だから、目がくらむ男もいるんじゃないの」
本格的に酔い、セクハラまがいのことを言ってしまった。謝ろうと思った瞬間、園田さんは俺をぐいと抱き寄せ、首筋にキスをした。服がまくり上げられ蜘蛛のタトゥーが顔を出す。
「あれ、清原くん、タトゥー入れてるんだね。かわいい。私と一緒だ」
彼女はばっと羽織を脱ぎ俺に背中を見せた。

 背中を抱きしめているかのような女郎蜘蛛。タトゥーというより、刺青と呼ぶのにふさわしいそれは、獲物を狙うかの如く俺の腰骨の蜘蛛をにらんだ。

―この刺青を入れたとき、彼女はどんなに痛がったろう。

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