小説

『おじょもが通る』森本航(『おじょも伝説』(香川県))

「なんでおじょもの話したん?」
 聞くと、尾白君は小さく笑ってみせた。「ああ、それか」と言う。
「話通じなさそうやし、ヒートアップされても面倒やけん、ほんならこっちから話が通じん人になって、諦めてもらうのがええかなって」
「ほんでも、なんでおじょもの話……」
「おじょもは立っとるだけで凄い」
「え」
「って、昔誰かに言われたんよな。言われた時に、それはええな、て思ったんよ。立っとるだけで存在感ある人になれたらええな、って。それもあって、咄嗟に『立っとるだけです』って言うたんやけど、ほんなら昔のこと思い出して」
 尾白君の口調は、いつも通り落ち着いてはいたけれど、少し楽しそうな色を帯びていた。
「ひーちゃんが言ってくれたんやったな。小学生の時、なんでやったか、他のメンバーがおらんくて、二人で帰りよる時に。まぁ、覚えとらんかもしれんけど」
 昔の話をしているからだろう、不意に昔の呼び方が彼の口からこぼれて、瞬間、小学校の頃の記憶が脳裏に蘇った。
 帰り道。ランドセル。田んぼの新緑。
 今より低い視線。今より広く感じる道。
 二人の帰り道が分かれるところにある押しボタン信号。
 そうした風景が、今と地続きになっていることを感じた。
「思い出したら、なんか嬉しくなって、いっそおじょもの話でもしよか、ってなったわけや」
「普通そうはならんで」言って、私は笑った。「でも、覚えとるわ。ウチが昔そうやって言うたん」
「え、ほんま?」
「入学式の時に思い出した。覚えとらんやろなって思ってたけど」
「いや、当時の自分にめっちゃ刺さったんで。ずっと覚えとったわ。誰に言われたかは曖昧やったけど」
「大層な事言うたつもりはなかったけどなぁ」

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