それから三日間、雪は降り続けた。夫婦は無理をせずに、雪が落ち着くまで千夜の民宿に泊まることにした。民宿は携帯電話が圏外であり、ネット環境もテレビもないので二人とも退屈そうだった。
三泊目が明けた朝、圭祐は携帯電話の電波を求めて外に出た。さすがにずっと同じ場所に留まっていられないので、運転代行業者を呼んでみるとのことだった。圭祐が外出して十分ほど経った頃、よっぽど暇を持て余しているらしく、智代子は雪しか見えない庭に出た。しかし、寒さに耐えきれなかった様で、五分ともたずに部屋に戻った。
千夜は何か差し入れをしようと思い、やかんに火をかけた。ピイイイとやかんが鳴り、茶葉を入れた急須にお湯を注ぐと、身体の動きが鈍くなるほど冷え切った台所に日本茶の香りが広がった。千夜はお茶と茶菓子をお盆に載せて、智代子のもとへと廊下を歩いた。
部屋の前に立つと、襖が閉まりきっていなかった。部屋の中では、智代子が押し入れの前に座り、吉蔵の日記を次々に開いていた。
千夜はたまらず襖を開けて部屋に入った。
「あの、何をされているんですか」
智代子はビクッと身を縮こませ、怯えた顔を千夜に向けた。
「いや、あの」
智代子の声は小さく、とても震えていた。
「何もすることがなくて、寒いから布団をもう一枚お借りして寝ようと思ったら、この箱を見つけて。ごめんなさい」
千夜は部屋の中に入り、お盆を机に置いて智代子に歩み寄った。
「いや、大したものではないですからいいですよ。ですけど、それは亡くなった夫の日記でして」
千夜が優しく話しかけても、智代子の目は怯えきっていた。
「でも、大切なものですので、返していただけますか」
智代子の手に握られている日記に、千夜が手をかけた。しかし、智代子は手を放そうとせず、二人が日記を引き合う形になった。その時、日記から一万円札が落ちた。千夜が他の日記を開いてみると、まばらに一万円札が挟まれていた。
智代子を見ると、気まずそうに正座しながら俯いていた。
「他の日記もご覧になられましたか」
「いや」
智代子は明らかにそわそわしていた。千夜は不審に思い、智代子のパーカーのポケットに手を入れた。予感は的中した。
智代子のポケットから札が出てきた。ざっと見ても四十枚はあり、すべて福沢諭吉の肖像画が印刷されていたが、今ではほとんど見ない旧式のものだった。どうやら、吉蔵が静岡に住んでいた頃の貯蓄を隠し持っていたらしかった。
吉蔵と初めて会った日の夜を突然思い出した。そして、吉蔵と共に過ごした日々が脳裏に蘇った。千夜は智代子を見ると、この人は私と大切な夫との思い出を盗もうとしたのだ、と思った。怒りがこみ上げてきて、こめかみの血管がドクドクと鳴った気がした。
千夜は智代子に飛び掛かり、畳に突き倒した。智代子の腹で胎児が動いたのを、千夜は太ももの裏で感じた。千夜は智代子の髪の毛を掴み、首に手をかけた。智代子の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。智代子は手足をバタバタと動かし、上にいる千夜を突き飛ばした。
智代子は足に力が入らないらしく、腕の力のみで身体を引きずりながら千夜から遠ざかろうとしていた。千夜には、その姿が重い十字架を背負った罪人にしか見えなかった。