しかし、千夜と吉蔵の仲睦まじい生活は、吉蔵の死によって終わりを迎えた。出会った日から二十年が過ぎていた。千夜は喪失感に囚われ、民宿を臨時休業とした。
民宿を再開して生活が落ち着くと、千夜は吉蔵の遺品整理を始めた。千夜はゴミ袋を拡げ、次々に吉蔵の私物を捨てていった。吉蔵の大切にしていた鞄を掴むと、手帳サイズのノートに気づいた。ざっと見ても三十冊は入っていた。その中の一冊を開いてみると、それは吉蔵の日記であった。
日記には、吉蔵がこの家に来てからのことが細かい字で綴られていた。吉蔵の下手くそな繋げ字が、生きていることを主張するかの様に強い筆圧で記されており、千夜にはとても愛おしく感じられた。千夜は一冊の日記にさっと目を通すと、形見として取っておくことに決めた。千夜はすべての日記を和菓子の空き箱に入れ、一番奥の部屋の押し入れにしまった。
数年が経ち、久々に大雪が降った日の夕方、三十代前半と見られる夫婦が泊まりに来た。宿帳によると、夫婦の名前は佐田圭祐と智代子で、東京から来ているとのことだった。
「いやね、レンタカーでこの先のお城に行ってきたんですけど、急に雪が降ってきちゃって。雪道の運転も慣れてないし、嫁さんも妊娠中だから車中泊はきついなって焦っていた時にこの宿を見つけて。本当に助かりました」
「そうですか。それはさぞかし不安だったでしょう」
千夜が冷え切った廊下を歩きだすと、二人はその後をついた。佐田夫妻は壁や天井を見回して、歴史がありそうな旅館だね、などと言いながら白い息を吐いていた。
「お部屋はこちらになります。普段は客室ではないのですが、いま他の部屋のエアコンが壊れてしまっていて。今日は寒さが違うので、ここにお泊りください」
一番奥にある部屋の襖を開けると、千夜は敷居をまたいだ。千夜が黄色く変色しているエアコンを起動すると、ゴオオオと音を立てながら生臭い風が出てきた。そして、押し入れから二組の布団を出して畳に拡げた。
「部屋が暖まるまで時間がかかりますけど、どうぞおくつろぎください」