氏神様は何も言わなかったが、愛らしい瞳が水を吸ったように大きく膨らむのを僕は見た。
「どうか、僕らをこの剛力の血から解放してほしいのです」
「それは、なにゆえ――」
氏神様が呟く。喜怒哀楽の感情は読み取れなんだが、意外そうではあった。僕は膝を乗り出して、
「氏神様、かつて仰られたそうですね。侍が最も必要とするのは剛力と豪胆――忠兵衛は豪胆な男だった。だから剛力を与え、その力は子孫代々に伝わることになるだろうと」
氏神様は頷く。それなんですよ――と、僕は言った。
「侍が必要としていたのは、豪胆と剛力だった。でもね、今、世の中が随分前から、侍を必要としていないんです」
「――」
きょとん、というのはこうした顔を言うのだろう。氏神様は、きょとんとした。その顔を見て、逆に僕の方が面食らった。まさか、気づいていなかったのだろうか。
「何百年も前に、廃刀令やら何やらがあって、侍って身分自体がなくなってしまったんです」
「――」
「侍がいない世の中になって随分経つというのに、梅津の家は持て余すほどの剛力が代々受け継がれています。その連鎖を、ここで断ち切ってほしいのです。侍には必要であった剛力を――今はもう、誰も求めていないのですよ」
言ってしまった――そんな思いが、僕の胸にすとんと落ちた。
神様相手に、随分な口のきき方だと自分でも思う。氏神様は怒るだろうか、あるいは、悲しまれるのだろうか。無礼な僕に、何らかの仕打ちを与えるのだろうか。
言いたいことはわかります、と氏神様は言って微笑み返す。表情の上では、怒っていない。
「しかし――そうは言っても、剛力自体はいつの世にも求められるのではありませんか」
「確かに、それが役立つ時もあります。ただ――忠兵衛の時からそうでしたが、氏神様が与えてくださった力が、予想以上に強すぎるんです。見てください、これ」
僕は傍らの石を二つ三つ掴んで握った。軽く握っただけなのに、バキッと音がして石が全部粉々になった。それを地面にぱらぱら振り撒くと、氏神様はパチパチ手を叩いた。
「さすがは忠兵衛殿のご子孫。普通の人にはできないことですね」
普通じゃなくてもできちゃダメなんですよッ――僕は情けなくなって叫んだ。
「この力があるせいで、日常生活レベルで大変なんです。歯を磨こうと思ったら歯ブラシが折れる、朝ごはんを食べようと思ったら箸が折れる、着替えようと思ったら服がちぎれる。
触れるもの全てが、僕には軟すぎる。何をするにしても、とにかく繊細に優しく扱わないといけない。それがすっごくストレスなんです」