小説

『岩が落ちたら』Tsukishita(『鯖くさらかし岩』(長崎県時津町))

 帰宅した後、僕は二十六聖人について自分なりに調べてみた。キリシタン弾圧の時代に、磔にされるため京都から歩いて長崎へ向かったこと、迫害を受けながらも自分の信仰を最期まで曲げなかったこと、殉教した26人の中には当時12才の子どもまでいたこと。長崎で生まれ育ったのに、初めて知ることばかりで驚きの連続だった。もしかして、あの時岩のそばで聞いた音は・・・。真相はわからないが、彼らの意思の強さに圧倒され、自分が情けなくなった。心なしか、酒がいつもよりまずく感じた。

 それから僕は、心を入れ替えて業務に励んだ。初めは親会社からの出向で警戒されたが、なるべく積極的に人の話を聞くようにしたし、今まで避けてきた新人の教育も進んでやった。異動になった原因や理由をいくら考えても仕方がない。僕には強い信念も大きな夢もないけれど、ここへ来たことの意味を、今の時代に生きている意味を自分で見出さなければと必死だった。僕の仕事ぶりを知って電話を寄越した元上司からは「そっちだと水が合うのかね」と嫌味を言われたが、むしろ距離が近くなったようで嬉しかった。
 長崎に戻って約1年。肩書や役職は特に与えられなかったものの、それなりに社内外の人間から信頼されるようになったな、と感じる。昇進がなんだ。資格が何だっていうんだ。マーケティングの強化や物流そのもののテコ入れを行うだけで、ずいぶん業務の効率が良くなった。今は漁港の高度衛生化のため、官民連携の協議会を立ち上げようとしているところだ。いつしかの夏休みに、鯖(鯛だったけど)を盗んだ場所。もう時効だろうが、罪悪感が無いと言えばうそになるかもしれない。

 そして今日は五島から漁業関係者が漁港と加工場の見学に来る日だ。僕らの評判を聞いて、六次産業化を見据えた情報交換を希望とのことだ。まさか、自分の携わる事業が誰かのお手本になる日が来るなんて・・・まだ1年しかこの仕事をしていないが、妙な感慨深さがあった。あの日岩が落ちてこなければ、そしてヒデコと再会しなければ、僕の人生はただ何となく過ごすだけで終わったのかもしれない。鯖を腐らせるなんてとんでもない名前だけど、僕はあの岩に感謝してもしきれないぐらいだ。

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