小説

『岩が落ちたら』Tsukishita(『鯖くさらかし岩』(長崎県時津町))

 「鯖くさらかし」というへんてこな名は、文字通り鯖を腐らせるということを意味する。あの岩が本当に鯖を腐らせる力を持っているのか?小学3年生の夏休み、僕は好奇心から「いわのなぞ」を解きに行こうと決めた。子分のように何かと僕の後をついて回っていた、クラスメイトのヒデコを連れて。
 僕は強い好奇心を抑えられない一方で、鯖を買うためになけなしの小遣いを使うつもりなんて一切無かった。ラジオ体操が終わった後、僕らは近所の漁協へ忍び込んだ。人がいない隙をみて、「鯖を盗ってこい」とヒデコに命令する。ヒデコは嫌そうな顔を一瞬したがうなずき、地面に干してあった網から魚をこっそり外してきた。スーパーのビニール袋に慌てて詰め込み、僕は色んなどきどきを抱えながらヒデコの手を引いて漁協を後にしたのを覚えている。今思えば、手はべたべたで臭かったに違いない。
 それからどれくらい歩いただろうか。僕たちがやっとこさ鯖くさらかし岩の根本に到着したころにはすでに昼間の気温になっていて、ビニール袋からはツンとした匂いがしていた。
「はやしくん、もうこのさば、へんなにおいしてるよ」。
「うるさいな、ヒデコがちゃんとしたやつ持ってこなかったんだろ。あーあ、おまえのせいで全部やりなおしやん」。
そんな、と言わんばかりにヒデコの目に涙があふれた時だった。
パラパラと砂のようなものが上から降ってきた次の瞬間。

ごり、ずずん

と、ヒデコの真後ろに巨大な岩が落ちてきた。あまりにも突然の出来事にヒデコの涙は引っ込み、僕は腰を抜かした。砂ぼこりが舞う中、僕たちは何分間も硬直していた。何が起こったのか、全くわからなかった。
 しばらくして「このいわ、怒っとるね」とヒデコがぽつりとつぶやき、僕はようやくそれが鯖くさらかし岩の頭の部分だと気づいた。くぼみと光の加減だろうか、僕たちなんかより遥かに大きなその岩は体育の先生が怒った時の顔に少し似ていた気がする。二人で顔を合わせてふっと笑ったその時、集団の歩く音とぶつぶつと話すような声が聞こえてきた。大人たちが来たんだ!僕たちはとっさに岩の裏へ隠れる。だって、ここは子どもが近づいてはいけない場所なんだから。
 だんだんと足音と声が近づいてきた。が、何を言っているかはわからない。耳を澄ましてみると、大人だけではなく僕たちと同い年ぐらいの子どもも混じって歩いていることがかろうじてわかった。声を聞いたヒデコが「あれ、2組の田中くんたちじゃ?」と言うもんだから、確かめようと顔を出した。しかし、そこには誰もいない。誰の姿も見えないのに、足音と話し声だけ聞こえてくる。ぞっとした。僕は「おらん、誰もおらん」と震えながらヒデコの腕に抱きつき、そのまま足音と話し声がしなくなるのを待った。
 やがて静かになると、僕らも疲れたのでバスでそれぞれの自宅へ帰った。家に着くころには鯖くさらかし岩の頭が無くなったとあちこちで騒ぎになっていたけど、僕とヒデコは決してその場にいたことを言わなかった。そして持ち帰った鯖だが、不思議なことにもうビニール袋からは変な匂いがしなくなっていたので親には漁協でもらったと嘘をついて渡した。ちなみに、あれは鯖ではなくて鯛だったらしい。晩ごはんに出てきたかまでは、覚えていない。

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